« 「ずっと好きだった」という言葉 | トップページ | 「効率」を求めてはいけないところ »

2010/05/20

「命の大切さ」に潜む欺瞞

テレビを見ていたら、
「命というものはそんな軽いもんなのかー!」っと
二枚目さんがドラマで嘆いている……

ソレを観ていて、
ふぅー、なんだかなぁ
とため息が出て仕方なかったのは私だけだったのでしょうか?


……


もちろん、命は最も大切なものなのです。
間違いない。
但し、それはあくまで
「自分の命」あるいは「愛するものたちの命」に限ってのこと。
それ以外のかかわりのない人の命については
正直なところそれは「建前」でしかありません。

このドラマが、
いや、最近のこの手のドラマが鼻についてしまうのは
「その『建前』があまりに前面に出すぎる」からなのでしょう。
実際
生き死にが隣り合わせのようなそんな動乱の時代に
「仲良く」とか「理解しあって」なんて
現代的な価値観が大手を振っているのは
ものすごい違和感を与えるのです。


などと
モヤモヤしていた私の頭に、「ブタのいた教室」という映画の
以前目にしたあるレビューが浮かんできました。

<以下部分的に抜粋>
…そもそも「命の大切さ」なんて人間の作った幻想であり偽善であり傲慢でしかない…(中略)
「人間だけに生きる権利がある」というのは傲慢な話で、
「全ての動物には自分や仲間に危害を加える他生物を殺す権利がある」
というのが私なりの正解です。
だから「他生物を殺す」という業は実は物凄い返り討ちのリスクやストレスや恐怖を感じることで、そこを清潔で安全な教室で「かわいい」「かわいそう」というコンセプトで「生殺与奪」を議論させることが「命の大切さ」を教育する事だと本気で考えている事に、私は逆に物凄い肌寒さを覚えます。…


文中の「他生物」を「他者」と置き換えてみれば
この言葉は
一映画のレビューを超えて
そのまんま
昨今のメディアにおけるヒューマニズムや博愛観、
そして「命の大切さ」という価値感への痛烈な批判になる、と
私には思えてならない……


……


これを書かれた「はち-ご=」さんに

「ただただ感服」

するのみです。

|

« 「ずっと好きだった」という言葉 | トップページ | 「効率」を求めてはいけないところ »