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2010/07/28

はじめに感想文ありき、なのか?

夏真っ盛り、です。
子供たちも夏休み。
そして、
夏休みといえば宿題であり
その中でも頭がいたいのは
ドリルなどの与えられた課題ではなく
自由研究
読書感想文
といった自主的な取り組みを求められるタイプ。

ま、それでも自由研究はいいでしょう。
これだけインターネットが普及した現代において
テーマさえきちんと決めたうえで本腰入れて調べる気になれば
いくらでも面白い研究ができそうですから。
となると問題はもうひとつのほう、
読書感想文です。

本、嫌いなんですよね。
とにかく読まない。
特に下の子(中1男子)は……
この前なんか
「ねえ、感想文ってさ、あらすじじゃだめなんかな」
なんて聞かれてしまったし。

でもそこでハタと気がついてしまったんですよね。
一冊の本のあらすじを書くのだって決して簡単なことではない。
その内容を要約する能力を培うという意味では
国語として決して無意味な作業ではないはずです。
それなのに「あらずじだけの感想文」って
「やっちゃいけない感想文の典型」みたいに思われている。
それもなんかなぁって。

もちろん「感想文」なのですから、
その本を読んで自分が感じたこと=感想を書かなきゃいけないというのはわかる。
ここで求められているのは、
あらすじのように文章を要約する能力ではなく
自分の考えをまとめて文章化するという能力なのです。
でも
その感想というもの自体がさほどのものでなかったどうなのでしょう。

ちっとも自分の心に響かない、
ていうか全然面白くなかった…

という、読書が苦手な子供のほとんどがもつ「感想」を
いっぱしの感想文に仕立てるにはどうしたらいいのでしょうか?


ここで大切なのは

「自分がもったその感想を読んだ人に伝えたい」

という意識だと思うんですよね。


つまらない、と思ったならそれでいい。
でも
「つまらなかった」って書くだけじゃ
そのつまらなさは感想文を読んだ人には伝わらない。
そもそもそんな感想文、読者にしてみたら読む気にもなりません。

どこがどうつまらなかったのか、
どうだったら面白かったのか

そんなことを読み手に分かり易く書くことができればいい。
また、
そういった「つまらない」などという直接の感想という形ではなくても
この本を読んだことによって自分のなかに浮かび上がった疑問や
本の内容から連想して考えたことなどでもいい。
この本を読むことによって考えたこと人にわかりやすく伝える。
それができれば
その感想文は、その辺にある当たりまえのものよりよっぽど面白いものになるはずです。


文章というのは
まず伝えたいという意思があってこそ生まれるものだという認識の欠如。
結局
この感想文という課題が
子供たちの多くに憂鬱を与えている理由は
このあたりにあるんじゃないでしょうか。

はじめに「伝えたいこと」ありき、で文章は書かれるべきなのに
はじめから「文章を書く」ことが前提になってしまっている。
だから
「何を書いたらいいのかわからない、
だからとりあえずあらすじを書いて枚数を稼ぐか」
となってしまうのです。


前述の子供の問には、
「感想文だからねぇ、あらすじだけじゃまずいんじゃない」
と答えたあと、こう付け加えておきました。
「でもあんたの思ったことを正直に書けばいいのよ。
 でも『面白かった』『つまらなかった』だけじゃだめ
 どこがどう『面白かった』のか『つまらなかった』のか
 そういうこと書いてないとあんただってそんな文章読む気しないでしょ?」

子供がこの言葉に納得したかどうかはわかりませんが
「自分の考えを読んだ人に伝える」
という意識にはちょっと心を動かされたよう……


国語って
知識とか感受性とか表現力とか言う以前に
気持ちを伝えるツール
結局それを磨く教科なんだ

という

学問としての根本を
私自身もあらためて意識した一件、でした。

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2010/07/02

「いい雰囲気」を報道する前に

……
またも、
サッカーネタで失礼いたします。

夕べはご多分にもれず繰り返し、
我らが日本代表の
あたかも凱旋のような帰国報道を
私も視聴しておりました。

大会が始まるまではあんなにも冷たかった人々が
ヨン様もびっくりの大歓呼と熱狂で彼らを迎えたことについては
別になんとも思いません。
私も迎えにこそ行かなくても全く同じ気持ちでしたから。
手のひらを返すように態度が変わる無責任さは
大衆の性(サガ)みたいはものなのですから
それをどうこういうつもりもない。


でもどうしても気になってしまうのは、
二言目には

「本当にいい雰囲気のチーム」
だとか
「家族のような結束」

とかいう言葉を出して、

こんなに団結しているから結果がだせたんだよねー!

みたいな短絡的な思考を露呈するマスコミ連中の薄っぺらさです。


おいおい、違うだろ?

団結しているから、
いい雰囲気だから
家族みたいだから

だからベスト16なんじゃないだろ?

勝ったから
結果出したから
どん底から這い上がることが出来たから

だから「いい雰囲気」なんだろ?


4年前のあの超雰囲気悪そうな代表だって
初戦のオーストラリアに勝っていれば
事情が違ったはず。
今や「唯我独尊で協調性ゼロ」の代名詞みたいなナ○タだって
メンバーを思いやる気配りの出来るリーダーであるかのように
賞賛されていたかもしれない。


結局、「結果」が全てなんですよ。
勝ったからこそ笑顔が出る余裕が生まれるのです。

マスコミだって国民だって
みんなそんなこと気がついているくせに

「結果云々じゃなく
人間性にも優れている我らの代表に惜しみない拍手を!」

みたいな方向にどうしていっちゃうのかなぁ?
そういう友情とか結束とかいった人情話を
望んでいる人がこの国にはそれだけ多いってことなんでしょうか?

わたしゃサッカーのことはほとんどわからないけれど
こんな賞賛の仕方をしているうちは
まだまだ茨の道が続くと思いますよ。


あーあ、
いつになったら
もっと冷静で沈着なスポーツ報道ができるような国になるんでしょう。

少なくとも
感動の裏話=浪花節的ウェットさはもういらない

みんなだってそう思っているんじゃないんですか?

それとも
そんなドライな人間はわたしだけなんでしょうか?


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