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2010/08/30

「悪しき民主主義」と「良き独裁」

先日、阿久根市政の混乱を取り扱ったレポートを視聴しました。

マスコミがまとめたレポートなのだから、
その作成者や放映する局の意図が盛り込まれてるのは
仕方がないことですが、
それでも
精一杯中立の立場で取材しようという
そんなに偏った視点のない番組だったと思います。

それでも

やはり竹原市長の過激なやり方は常軌を逸している
どんな正義であってもルールを破ってまでやることは
それはもう悪なのだ

という
いわゆるジャーナリズムの良識にのっとった
コメントのみが
スタジオのコメンテーターの口からは出てくる。

やっぱり公の席ではこうとしかいえないものだしだなぁ……
なんて思っていると
最後の締めとしてこんなコメントが述べられていました。


仮に「良き独裁」というものがあったとして、
それにくらべて
我々の民主主義がより劣ったものであったとしても、
われわれは民主国家として成り立っていこうと決心したときから
その良き独裁からですら
この不完全な民主主義を守っていく道を選んだのですから


……


うーん、
このコメンテーター氏の言いたいことはわかります。
どんなに良き独裁であっても
独裁にはそれが暴走したときに歯止めになるものがない。
反対に
それがどんなに悪しき民主主義であっても
多数の人間の意志によって決定がなされるこの制度では
暴走は食い止められるのだから、

だから
民主主義は多少の悪を含んでいたとしても
守っていくべき制度なのだ、
とそう言いたいのですよね?


でも
それってとっても正しいとは思うのですが、
それでは
民主主義のルールにのっとってやっているうちは
ことに行政改革や官民格差廃止という点においては、
ズバッした政策がとれる日は
永久に来ないということなのですね。

だって
誰だって失業したり大幅に給料がカットされたりするのは
我慢なら無いものでしょう?
逆に我慢できる程度の改革では
(例えば
年収平均200万前後の市民と700万の市職員の格差のように)
どうしようもないところまで来ているから
いつまでもこの問題が解決しないのではないでしょう?


議員定数削減、議員給与カット、無駄な経費削減、
どれもやろうとすれば反対される、
そりゃそうですよ。
当事者やそれを支持する後援者
そしてそれにつらなる有象無象の利権団体にとってみれば
どんな予算だって必要最低限な額だし
どんな定数だって必要最小限わけですから。
そして
言うまでも無くその当事者とそれにぶら下がって食い扶持を稼いでる
人々も民主主義の制度に組み込まれている
守られるべき市民のひとりひとりなのです。

誰だって
自分のパイの取り分を減らしてまで
他人の取り分をふやしてやろう何て思わない。
取り分が少ないと不平を言う人たちには
もっと大きいパイができるまでもうちょっとの辛抱だから、
と待たせる……

そのうち
経済政策が上手くいって
景気が上向けば誰も文句なんか言いやしない。
そうなればみんな金持ちになることに一心不乱になり
人の懐具合なんて忘れちゃう。


……


だから
これからもこんなことが続くのでしょうね。


だって
私たちは
たとえ悪しくとも民主主義という制度を選んだのですから。

愚かであったとしてもより多くの人の意思を尊重する制度、
それが
たとえ英雄であったとしても
たったひとりの独断に
踏みにじられることがあってはならないのですから……

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2010/08/11

誰もが覚える感覚を
誰もが表し得なかった表現で……

そもそも青春小説は苦手なのですが……

中2の娘も読むかと思い、
借りて来た一冊「夜のピクニック」を読みました。

とある高校の恒例行事「歩行祭」を舞台に
高校生たちの迷いや揺れといった心の動きを丹念に描いた佳作です。

読み始め、
主人公たちの少女マンガ張りの人間関係を目にしたときは
若干引いてしまったのも事実なのですが、
その後はその陳腐さにが全然気にならなくなった、
これは
「主人公たちの心の襞に迫る作者の筆の力」、
によるものなのかもしれません。


それでも
やっぱり私がもっともいいなぁと思ったのは
そういった悩みとか不安とか、
実際に彼らの抱えている問題についての描写ではなく、
もっと脇の

普段気がつかなかった日常の再発見

についての記述でしょうか。

例えば

昼の光がどんどん夜の闇に押されて少なくなっていく様子―
いつの間にか「割合が反対になっている夜の空と昼の空」
に気づく主人公の驚き、とか。

くたくたに疲れてもう一歩も歩けないと思うときの
目標への距離感、とか。

疲労困憊時における甘いものを摂取したときの
身体の無条件な喜びのさま、とか。

そういうものが
本当に上手く表現されています。


ああ、そうなんですよね。

誰もが感じる感覚、
だけど誰もが言い表しえなかった表現を持って
それがページ上に繰り広げられると
ひとは無条件に感動してしまうものなのかもしれません。


正直
この小説の肝であろうクライマックス
―わだかまりを抱えた若者たちの和解―ついては
ほとんど何も感じ入るものはありませんでしたが

この感覚の再現には
ちょっと心が震えました。


……いい本、です。

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