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2010/10/29

誰のために…

実はこれは、
前々からうすうすは感じていたことなのだが、

……どうやら
テレビっていうものは
観る人のためというより出る人のためにあるもののようだ

ということを最近確信した。


この

「出る人」たちにお仕事を与えるため

に作られているような番組が、多すぎる。


それに気がついちゃうと
もう観ちゃいられないよねぇ……


……


確かに…
テレビ離れが進むのも、仕方の無いことだ…

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2010/10/13

「告白」―身を蝕む「鋭さ」について

夕べ、
図書館から「予約本届いてます」という連絡がありました。
というわけで、300人以上の順番待ちの後
今更の感が無きにしも非ずですが、
湊かなえ氏の「告白」をその晩読了。

内容は言わずもがな。
ページの隅々にまでぎっしりと入り込んだ
悪意とか
嫉妬とか
思い込み、
優越感、
そして劣等感に圧倒されながらも、
一気読みせざるをえない作品でした。

以前読んだ「グロテスク」もそうなんですが
私はこういう読後の後味の悪さ、
そんなに嫌いではない。
それは
多分に私が何食わぬ善人面をしながら内面では悪意に満ちた心を抱えてるから
なのだと思うし
そういう自分を認識した上で
「でも綺麗ごと言ったって人間の本質ってそんなモンでしょ」
っていう開き直りがあったから、
なのだと思うのですよね。


結局、人間の中には

自分こそ
誰よりも深い考察をして認められたい
誰よりも真理に近づき
その知的な自分を
誰よりも正しいと認めてもらいたい

という欲求が少なからずあるものだと思うし
その結果
周りのくだらないことにうつつを抜かす連中を
軽蔑し愚鈍と忌み嫌うのも
ある意味自然の成り行きなのかもしれません。

つまらぬ噂話に嬉々とする女たち、
くだらぬジョークにゲラゲラ笑う子供
どこかのウケウリを
まるで自分のオリジナルのように得意げに披露する見栄っ張りな男たち
そういう輩に鋭く反応し
嫌悪感や侮蔑、怒りを感じることは
自分の知性、品性のためにはむしろ当然のことなのだ、と
その意識をナイフのように鋭く研ぎ澄ます……

思春期以降
そうやって生きてきたことに
何の恥じるところがあるものか、

そうずっと私は思ってきたのです。


でも、
登場人物の大部分がどろどろとたぎるような悪意を抱えている
本作を読んで、
ちょっと考えが変わりました。

この作品には
子供の小狡さや未熟さや、世の理想論の虚しさなどに敏感な女性教師と
大人たちの怠惰さや見せかけの誠意の薄っぺら加減を鋭く見分ける生徒たちが
登場します。

彼らの辿った悲惨な軌跡を見るにつけ
他人のくだらなさ、俗っぽさ、卑小さなんてものに
鋭く反応する感受性なんて
人間が賢く幸せに生きるのには、
全然必要ないんだってことに、
今更ながら感じ入ったのです。
それらは知性や品性とは全く無縁の、
私たちを蝕む毒でしかないのだ、と。

私たちに必要なのは
他人の汚さを暴く鋭い目でも、
それを赦すことができるような、人間離れした寛容さでもない。
そんなものより
ただただそういうものに

鈍感になること

まさにそのことではないかと
そんな気がしてならない……


とりあえず
今日から
くだらないテレビ番組にでている芸能人たちに
イライラするのはやめる、

そんなところから
まずは、始めてみようかと思います。

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