« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010/11/26

「愛する人」と「宣言する人」

昨日
新聞で興味深い記事を読んだ。

それは「アマチュアとプロ」というテーマについて書かれたものだったのだが、
私の目を引いたのはアマチュアという言葉の語源。

それによると、
アマチュア=amateur(英)は
「愛する人」という意味のラテン語 amator(アマートル)から来ている言葉だとか……
どうも現在の日本においてアマチュアという言葉は、
プロ即ち「玄人(くろうと)」の対義語として使われることが多いせいか
アマチュア=「素人(しとうと)」というイメージがあるが、
そもそもの語源から考えてみるに、
この言葉は「素人」というよりは「愛好家」というニュアンスのほうが
しっくりくるもののようである。

「つまりそれで報酬を得ていようがいまいが、
それを愛するものは皆アマチュアである」
というような内容が
その記事(コラム)には書き連ねられており、
さらに、
「アマチュアではなくなった
(つまり「愛」を失い「生活を支える手段」としかそれを認識できなくなった)プロこそ
悲惨なものはない」
と続いていた。


愛を失ったプロ、か……

たしかに一見それは悲しい存在に思える。


が、しかし逆に言うと
「プロ」とは良くも悪くもある程度そういうものなのだろう。
プロとは、プロフェッショナルとは、
決して「愛好家」のような柔和で生温いものではない。
「どんな苦難があったとしてもその道を「プロ」でやっていこう、
糊口を凌いでいこう」
という決死の覚悟をした人と、
他に生計を立てる手段を持ち
あくまで自分の楽しみ、趣味としてそれを楽しむ人との間には
大きな違いがあるはず。

これはこちらのサイトで知ったことだが、
プロ=professional(英)とは
「宗教上の『公言、宣言、告白』といった意味をもつ profession」からきた言葉で、
その
「profession は、動詞の profess とともに、
『公に宣言する』という意味のラテン語 profiteor(プロフィテオル)の完了分詞
professus(プロフェッスス)からできた言葉」

だということである。(斜体は引用文)

つまり、「公に宣言し、周囲からもその能力を認められた者」こそが、
いわゆる「プロフェッショナル」なわけで、
どんなにそれを愛していようが、どんなに優れた能力をもっていようが、
「その道で生きていくと公に宣言」していない「愛好家」=アマチュアとは
やはり一線を画すものなのだ。


……


「趣味を仕事にしちゃうと、もうそれは趣味じゃなくなっちゃうんだようね」
昔そういっていた人がいた。
絵が好きな人で
その関係の仕事に就いたことを私が「いいなぁ、羨ましい」といった後の言葉だった。


まさしく、
彼は

ある種の「愛」を失った人

―即ち「プロ」、だったのだろう。


「何かを得たものは何かを失う」

人生とは、
そういう

「質量不変の法則」

が、何処までもつきまとうもののようである。


|

2010/11/19

所詮は趣味みたいなもん、でしょ

こんなこと書いたら
非難轟々なのかもしれないのだけれど……

でも
結構趣味の世界なんですよね、子育てって……


いわゆる真面目で熱心なお母さんたちの
子供のほうも息が詰まるような
手芸グッツや
手作りおやつ、
果ては教育方針や躾にいたるまで、

これらってよくよく考えると
所詮、

「こういう人生こそ理想の人生」
「こういう生活こそ理想の生活」
「こういう家庭こそ理想の家庭」

っていう子育てをする人の「趣味」や「嗜好」が基盤となっているもんじゃないですか。
趣味や嗜好、
つまり簡単に言うと好き嫌いってこと。
それは
極めて個人的な尺度であって
公共性や普遍性はほとんどない。

逆に言えば
極めて個人的な要素であるその「趣味や嗜好」をとっぱらってしまったら
もう子供なんて
独り立ちできるまで育てあげれば
何の要望もないわけなので……


やっぱうちの子なら大学ぐらいいかせないと、とか、
何が入っているかわからないインスタント食品なんて食べさせられない、とか、

そういう「愛情の深さを手のかけ方で量る」なんて考えも
本当のところ、
全く意味の無いことなのかも……


て、まあ
そんなことを考えると
少しは解放されたような気分になる、

……そんな母です。

だから
「子育てなんて所詮は趣味みたいなもん、でしょ」
って言葉、最近のお気に入り。

煮詰まったときの呪文にしています。


……結構効果ありマス。

|

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »