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2011/01/25

白鳥の騎士、死す

かなり前に、こんなエッセイを読んだことがある。

それは、
マイケル・ジャクソンのファンであった友人の話で、
「その友人はその死を悼み精神的にかなり凹んでしまった」
というような内容。
その中で筆者は
「自分はマイケルにはあまり思い入れが無いので、
何故それほどまでにダメージを受けるのかがよくわからない。
が、確かに○○○○が亡くなったときの喪失感を思い出してみると、
その感情はわかるような気がする」
みたいなことを書いていた。
(すみません、
この「○○○○」が誰であったのかはすっかり失念してしまったのですが。)

そこで、
その文章を読んだときの私の感想なのだが、
「ああ、私は「このひと」が亡くなったらダメージを受けるような
いわゆる自分のアイドルがいないのだなぁ」
というなんともうら寂しい感覚だったことが
印象に残っている。


うら寂しい?
そんな感想持つなんて我ながら不思議だった。

いわゆる「追っかけ」みたいなことをやったことはないし、
やってみたいと思ったこともない。
何かとてもいいと思う楽曲や劇に出会ったとしても
その作品を離れて
それを演じているアーチスト個人に熱烈な想いを抱くなんてことは
本当に稀なこと。

そして
実際のところ私自身は
そういう自分の
「熱狂する性向の不足」や「一歩引いて眺められる冷静さ」に
結構満足しているはずだったのに……


一方この筆者やその友人は
ファンとしての自分の存在すら知らなかったであろう
スーパースターを一方的に愛し、
その死ゆえに少なからぬダメージを受けている。

ファンとは結局そういうものなのだろうし
そんなことに「割が合わない」なんて思うような私のような人間には
誰かのファンになるなんてほとんどこの先ないだろうな


それはそれで
ちょっとさびしい……
でも、私はそういう人間なのだから仕方ない……のかな……

と思っていたところに、
つい最近ある人物の訃報を知ったのだ。


その人の名は、ペーター・ホフマン。


ワーグナー作品のへルデンテノールとして
その容姿からも
日本でも一時かなりもてはやされた歌手だった。

私が家庭を持って
オペラ鑑賞どころではなくなる少し前から、
彼はテノールとして既に不調になっていたらしい
そんなこともあって彼のことは全く忘れていた。
たまに思い出しても「そういえばあの人出ないな」ぐらい……


しかし、今その訃報にふれて


もう、彼のような
絵から抜け出てきたようなローエングリンは
そうそう出てこないんだろうな


と、思うと
なんともいえない喪失感が湧き起こってくる。

亡くなったのは去年の11月末。
その後一月以上も遅れてそれを知り今更凹んでいるなんて、
全くファンというしても、
あまりにも間抜けな私であるが


それでも
私にもこの惜別の感覚を味わうことができたということ、

それを、
こんな風に書くのもおかしなものだが

今、感謝している……


在りし日のペーター・ホフマンのローエングリン(1982)

特に終盤6分50秒ぐらいからの”Elsa…!Ich liebe dich…”は、
まさに絵のようです……

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2011/01/05

イラつく「年賀状」はバロメーター

1月4日。
帰省先から帰ってくるとまず覗くのは、郵便受け。
その中には
取り置きしてもらった新聞の束と、年賀状が入っています。

年賀状。
この年に一度の旧交を温める遣り取りが昨今、
実は結構な情念の遣り取りでもあることが
取り沙汰されているらしい、
ということはもう皆さんご存知ですよね。
そう、「写真入年賀状」ってヤツによって……

どうも写真入の年賀状の評判とは
一般的にみてあまり芳しくないもののようです。

子供のみの写真の場合、
「一度も会ったことのない子供の『どアップ』なんてもらっても正直困る…」
「まだ赤ちゃんか幼児なら微笑ましいけど
高学年以上はとんだ親ばかにしか見えない」
などという辛口の意見。

「せめて自分の知り合いも写っている家族写真ならうれしいんだけど」
という言葉を信じ家族一緒の写真を貼り付けると
「仲良し家族の見せびらかしのようでイラつく」
「容色が衰えた自分を晒すなんていい年して恥ずかしくないのかな」
というご意見も出てくる。

その他、
「こちらは子供が出来ずに苦しんでいるのに、無神経すぎる」
「これ見よがしで自己満足な幸せの押し付けにしか思えない」
などなど……


あの…
その年賀状は
一応「年に一度は葉書を遣り取りする」ような
ある程度の親交のある方たちからの
便りなんですよね……?


結局
その年賀状に不愉快になるのは、
写真がついていようがいまいが
関係ないんじゃないですか?
だって、
写真がなくてもあるでしょうよ、
家族のこの一年の業績を逐一長々と印刷して報告するタイプ。
あれを心の底からうれしく読むのは
自分の親兄弟や相当気心の知れた友人だけだと思いませんか?
そしてそれは逆に言えば、
微笑んでそれを読めないのは
あなたにとって「その差出人は『気心の知れた友人』ではない」から
なのではないでしょうか。

つまり
その差し出した人に対する普段からの想いが
「子供のどアップを送りつける親ばか」という感情になり
「自慢たらたらの内容にイラつく」という気分に繋がる……

年賀状という
この「一年に一度の旧交」は、
そういう意味で
「その相手のことを自分は本当はどう思っているか」、
というバロメーターのようなものなのかもしれません。


さて、
あなたは今年何枚の年賀状を微笑ましく読めましたか?
また
あなたの年賀状を何人の人が
微笑んで目を通してくれているでしょうか?


これについては
自分のことを振り返って考えてみると、

かなり怖い気がする

私、なのです。


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