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2011/02/28

モード、オン!

それは突然入るスイッチなのかもしれない。
そして
それは私だけでなく、
誰でもそういうことは起こるものなのかも……

お恥ずかしい話であるが
心のどこかにある
恋愛モードのスイッチが急にオンになってしまったようである。
とにかく
やたらにセンシティブというか
ヒリヒリと敏感な感じ。
ロマンティックな妄想が後を絶たない。


先日見かけた
歯医者の待合室にあった婦人雑誌によると
4、50代の婦人は
ホルモンのバランスが崩れてくる関係から
こういう恋愛モードがオンになることは多々あるとのことだ。
いわく、
「韓流スターに夢中になったり、夫以外の身近な男性に密かにときめいたり…」
とのこと。


ああ、なんだかまいったなぁ。
そういうのって一番苦手な状況だと思っていたのに……


そもそも恋愛苦手体質の私が
恋愛モードをオンにしたところで
どうにもしようがないとも思うのだが、


ま、
とりあえずホルモンが落ち着くまでの辛抱ということ。
それまでは
オペラや映画でも観て
せいぜいロマンティックを満喫することにしましょう。

どうせ
恋愛モードに入るからには
手近な仮想恋愛なんて危険な真似より
時空を超えた世紀のロマンに遊ぶほうが
ずっと安全だし、
なによりゴージャスな気分に浸れますから。

もちろん、
自分の配偶者殿を惚れ直すってのも、
なかなか「いい手」だと思うのですけどね……

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2011/02/10

「つながり」たがる人たちへ

少し前から言われていること。

―無縁社会

今の時代をさしてそう言うらしい。


隣に誰が住んでいるかわからない集合住宅、
誰も手助けにこない一人暮らしのお年寄り、
核家族化で孤立し密室で子育てする若い母親たちなどなど

そういった無縁社会についてのレポートがあると、
それを「味気ないもの」とし、
そこから脱却するために新たな繋がりを求める動きについてが
必ずといっていいほど語られる。
そして
その動きを好ましいものとする報道は後を絶たない。


もちろん、それは当然のことなのだろう。
人は一人では生きていけないものだから。


でも、
でもちょっと待って……

地縁、血縁のムラ社会、
つまり、
皆が顔見知りで誰がどこで何を買ったか、今日は何処に出かけているか、
誰もが知っている社会。
そういうかつての社会に
少なくない人が息苦しさを感じていたはず。
それでもその共同体に所属していたのは、
「そこを離れては生きていけない」という経済的な理由が
多分最も大きかったはずなのだ。
それが今、その経済の呪縛から人々は解放された。
それによりこの無縁社会にみずから飛び込んだ人は確かにいたのだ。
それもかなりの人数……

それを後悔しているというのだろうか?
やっぱり息苦しくても孤独でいるよりはマシだといいたいのか?


……


どうも「つながる」「つながる」と連呼している人々には
私は胡散臭さを感じてしまう。

かつての「つながる」ことによる息苦しさを除いて
美味しいところだけでつながることを目指しているんじゃないかっていう……


とにかく、
安易に「つながり」たがるなよ…
だいたい
そんな安易な「つながり」で本当の不安や孤独なんて解消されないんだよ。


最後に
ある女性作家の言葉を引用させていただく。
正直その著作や言動についてはあまり好きなタイプの作家ではないが、
彼女のこの言葉には真実があると思うから……

無縁で死んでいく方が「かわいそうだ」と思う動きがありますが、
そうではないのでしょう。
その方は、それを自分で選択されているのですから、
自分自身にも原因があるのです。
ですので、周りがそれほど心配することでもないのだと思います。
……
人間は、本来孤独なのです。
生まれる時も、死ぬ時も、一人です。
家族で、家庭で暮らしていても、一人です。
孤独なのです。


「つながっている感じがしていいですよね~」
などという能天気なコメントより

ずっと深く突き刺さる「言葉」だ、と思わないか?


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