「応援なんかしなくていい」
未曾有の災害より半月あまり。
こういった時期に発せられる言葉の数々は、
往々にして以下の3つに区分することができるのでしょう。
すなわち
情報
不謹慎
偽善
いや、
この3つの良し悪しをどうのこうの言うつもりではありません。
偽善などといえば
いかにも悪いことのようですが、
誰かも言っていたように
「『しない善』より『する偽善』」のほうがよい結果を生む場合が多々あるのも事実です。
そもそも偽善と本当の善行の違いなんて
やっている本人を含めて一体誰が知っているというのでしょう。
不謹慎にしてもそうです。
異常事態発生直後の身を慎む生活も立派なことですが、
日常を取り戻すというのも大切なこと。
ばかばかしいような笑いを
「不謹慎だ!」と責められる覚悟で復活させた発信者は、
それはそれで賞賛に値する人物なのかもしれません。
情報に至っては、
発信するに際してこれほど優先されるものはない……
それについては異存のある人はいないと思います。
結局、そう考えてみると
今巷に溢れている言葉と状況はなるべくしてなったというものなのですね。
……
ああ、
それでもねぇ・・・
それでも、あの「応援メッセージ」っていうのは何なんでしょう。
「強い国です」とか「結束しましょう」とか「信じています」とか……
そうモヤモヤしていた私に
素晴らしい回答を与えくれた言葉がありました。
「応援なんかしなくていい、
そんな他人を応援している暇があるなら自分の(なすべき)ことをしろ」
震災とは全く関係ない、
とあるドラマ内で
芸術家がそのファンに向かって吐き棄てるよう言った言葉。
本当です。
自分のなすべきこと
それを黙々とやる姿にこそ
人間は最大限の「勇気」と「力」を与えられものなのではないでしょうか。
だから
私は言いません、
「がんばろう」とか「信じている」とか。
今はただ、
自分のなすべきことを黙ってするまで、です。
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