苦難を選んでしまった息子と
親馬鹿になりきれない父の話
スタジオ・ジブリの宮崎駿氏とその息子吾朗氏。
この夏封切られた映画「コクリコ坂から」の製作の日々を描いたドキュメンタリーを観ました。
いまや日本のアニメ界の巨匠である父駿氏と
その大きすぎる存在に圧倒されながらも自分の世界を模索する息子吾朗氏。
このふたりのぶつかり合いと葛藤がこの番組のメインテーマだといっていいでしょう。
ただ「ぶつかり合い」としては…
結果は吾朗氏の完敗といっていいのかもしれません。
彼が模索する主人公のキャラクターは「魅力がない」の一言で切り捨てられ
結局いつものジブリのヒロインどおりの「明るい元気な少女」に変えられていく。
自分の世界を描くことを目標にはじまった映画製作なのに
自分のカラーで物語を作り上げる予定だったのに
出来上がってみれば
それは父の作り上げたものの踏襲に過ぎない……
でも
それは映画製作というビジネスのなかでは
ある意味仕方のない当然なことなのでしょう。
観客はジブリのアニメを観に劇場に足を運ぶのですから。
宮崎駿氏のブランドに期待をしてチケット買うのですから。
厳しいことを言うようですが
宮崎吾朗氏の自主制作映画を見に来るのとはわけがちがう、のです。
ドキュメンタリーは結末を大団円風にもってってましたが、
その方針の変更は
問題解決の方向へ進むというよりは
ある意味残酷な最後通牒のようにも見え、
吾朗氏の悲痛な苦悩が痛々しく感じられたほど……
まあ
偉大な親と同じ道をいくという苦難
これを選んでしまった以上
それは仕方のないことなのでしょうが。
最後に
この番組の中で私の最も印象に残ってい父駿氏のこの言葉を。
「(僕は)長島監督や野村監督みたいになりたくないんだ」
実力の足りない自分の子供を引き立てる(口利きも含む)
という行為を忌み嫌う駿氏の心情、信念を表した言葉です。
要は
「自分は親馬鹿には絶対なりたくない」ってことなのでしょうが。
でも、世間はやっぱり、
息子に対する彼の態度に「親馬鹿」の片鱗を見つけてしまうと思うんですよね。
そして、どんなに駿氏が否定してもそれは避けることはできない。
結局親はみんな親馬鹿なんです。
程度の違いこそあれ。
ほんの数年前は
私も絶対親馬鹿にはなりたくないと思っていました。
こんな記事を書いたぐらい……
でも
今は親馬鹿になってもいいかもと逆に思っています。
だって
私の子に「親馬鹿できる人間」なんて
この私以外にこの世にいないんだから。
「全く親馬鹿なんだから」って陰で嘲笑われる?
いいじゃありませんか。
上等ですよ。
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