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2012/02/29

理解し合えないという点でのみ
理解し合えるというジレンマ

少し前にこんな文章を読んだ。

「人と人とは最終的には理解し合えないものである。
ただこの「理解し合えない」という点においてのみ、人は互いを理解できるのだ」


読んでいて、
それは本当のことなのだろう、と思った。
確かに本当…
だけれども同時に「絶望的に寂しい言葉」だと思った。


「理解し合えない」のは確かなことだ。
己を振り返ってみるがいい。
振り返ってみて
かつて誰か他の人を完全に理解したことが一度でもあっただろうか?
また、一度でも
誰かに心の底から理解されていると感じたことがあっただろうか?

答えはNO。


なんと寂しいことなのだろう。

しかし、
「理解し合えない」のが当然のことであり、
当たり前のことなら
何故こんなにも寂しい気持ちにさせられるのか。


……

人は、
それほどまでに自分を理解して欲しいものだから……


「理解しあえないもの」とわかっていても、
自分がかつて誰も理解したことが無いことをその経験上よく知っていたとしても
それでも
この「自分をわかってほしい」という願いを止められないでいる。

わかってもらうために
私たちは生きているといってもいいくらいに
この願いは切実な思いなのだ。

「理解しあえないと知りつつ、理解してもらいたがる」
このジレンマこそが
人間というものなのかもしれない。
もっと言えば
この願いに突き動かされて
人は社会を作り上げてきたのだ。

そして

この無謀な願いをなくしたときは

人はその一生を終えるか、
人ではない別の存在になるか、


どちらかいずれかなのかもしれない。

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