2010/11/19

所詮は趣味みたいなもん、でしょ

こんなこと書いたら
非難轟々なのかもしれないのだけれど……

でも
結構趣味の世界なんですよね、子育てって……


いわゆる真面目で熱心なお母さんたちの
子供のほうも息が詰まるような
手芸グッツや
手作りおやつ、
果ては教育方針や躾にいたるまで、

これらってよくよく考えると
所詮、

「こういう人生こそ理想の人生」
「こういう生活こそ理想の生活」
「こういう家庭こそ理想の家庭」

っていう子育てをする人の「趣味」や「嗜好」が基盤となっているもんじゃないですか。
趣味や嗜好、
つまり簡単に言うと好き嫌いってこと。
それは
極めて個人的な尺度であって
公共性や普遍性はほとんどない。

逆に言えば
極めて個人的な要素であるその「趣味や嗜好」をとっぱらってしまったら
もう子供なんて
独り立ちできるまで育てあげれば
何の要望もないわけなので……


やっぱうちの子なら大学ぐらいいかせないと、とか、
何が入っているかわからないインスタント食品なんて食べさせられない、とか、

そういう「愛情の深さを手のかけ方で量る」なんて考えも
本当のところ、
全く意味の無いことなのかも……


て、まあ
そんなことを考えると
少しは解放されたような気分になる、

……そんな母です。

だから
「子育てなんて所詮は趣味みたいなもん、でしょ」
って言葉、最近のお気に入り。

煮詰まったときの呪文にしています。


……結構効果ありマス。

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2009/01/19

「そうですよね、私、おかしいですよね」

前回、「面白いエッセイにとんとお目にかかれなくなった」なんてことを書いていながら、

その数日後、私はある文章に出会ってしまいました。


それはこちら


多分、
母はものすごく大変な思いをして子供をプールにつれてきたのに、
「やっぱ入るのイヤ!」と駄々を捏ねる子供。
その子供たちに最初は怒りに身体を震わせながらも
恐ろしいほど静かに「入れ」と指示する母。
それでも「イヤ」と拒絶する子供たちに
「ケジメだから」といってついには無理矢理プールに子供を入れようとぐいぐい腕をひっぱる母。
その怒りの凄まじさにたまりかねずに
遠慮がちに「かんべんしてあげたら」と止めに入る筆者に

「そうですよね、私、おかしいですよね」

と母はぽろぽろと涙を流す。


すみません、私はこれを読んで涙があふれ出るのを押さえることができませんでした。


ああ、私もよく「おかしく」なるのです。

そして
それは多分、自分の子供っぽさゆえなのだ、とわかってはいるつもりなのです。
でも、
激情を抑えきれない私は、
子供を冷静に「叱る」のではなく感情的に「怒る」ことのほうが圧倒的に多い。

自分で自分をコントロールできない、歯がゆさ、情けなさ……


だから
この「私、おかしいですよね」と言って流すお母さんの涙に
私も泣いたのです。
ディスプレイを見つめながらボロボロ泣いたのです。

うちの子たちはもう小学校も高学年。
モノゴトの道理もそこそこわきまえて来て、
以前に比べればずっと楽になっているはずなのですけれど……

ああ、でも
やはりこの方のいうとおり、

「子どもを育てるとはかくも理不尽な戦いである」

わけなのです。

少なくとも
大人になりきれない私のような母親にとっては、
それは
永遠に続く「終わりなき戦い」のような気がしてなりません。

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2007/05/10

第一の人

・・・
思えば、
そういう存在になったことは
それまでの人生ではほとんどなかったのだ。

学校時代のグループで行う
理科の実験も
クラスのぺットのお世話も
家庭科の調理実習も
私の役割は遠巻きにその様子を見ているだけ、
ただ汚れた皿を洗うようなその程度
つまり後片付けがいいとこだったから・・・

だから、
いざ子供を妊娠したとき
自分が中心になってこの子を育てるという実感がなんとなくわかなかったのだ。

きっと誰か
―たとえば実母とか義母とかといった少なくとも私より気の利いた達人―が、
その赤ん坊の可愛らしさに我慢できず
手を差し伸べてくることだろう。
私はそれを遠巻きに眺めながら
ちょっとは育児らしきものをさせてもらえるかもしれない・・・

そんなことを
妊娠後期になって大きなおなかを抱えた私は
ぼんやりと考えていたのだった。


しかし、
現実は違った。

赤ん坊を育てると言うことは
クラスのペットのお世話や
家庭科の調理実習、理科の実験と違い
思っていたよりも他人の手がどんどんと差し伸べられるものではなかったのだ。
何といっても
赤ん坊自体が常に母親を求め、他の人間を拒絶する。
(「まあかわいい!」といって赤ん坊を抱き上げようとしても
母親以外では大泣きされるのが関の山、
というとんでもない報いを受けることすらある。)
そして
それを知る多くの賢明なる隣人たちのおかげで
私は「我が子を育てる」ということにあたり、
初めて「第一人者」となった。

この小さな命が私を選び、第一人者にしてくれたのだ。


よく

「親になる」ということは「人を成長させる」ことだ

と、そう言われるが、
それは多分「忍耐力や責任感が身につく」という意味だけではないのかも。
それだけではなく、
どんな目立たない人間であっても

「何者かにとっての第一人者たりえる」

という自信を、
与えてもらえるからなのではないか、

なんてそんなことを
子育てが一段落した今ごろになって、遅まきながら考える・・・

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2005/09/05

究極の一対一

 藤原道綱の母、というひとがいます。
 有名な平安時代の女流文学作品のひとつである、「蜻蛉日記」の作者ですよね。
 父は伊勢守正四位下藤原倫寧(ともやす)、夫は有名な藤原道長の父で藤原氏最盛期の基礎固めをした藤原兼家。
 一介の国司の娘の右大臣の御曹司との結婚なわけですから、彼女の結婚は結構な玉の輿だったのでしょう。結構な美女でその才媛ぶりもなかなかのものだったそうです。

 そんな彼女なのですが、
 それにしても、「道綱の母」っていう呼び方しかないのもあんまりな気がしませんか?

 もちろん、彼女にもちゃんとした名前はあったのでしょう。しかし宮仕えをしてその才媛ぶりを世に知らしめることもなかった彼女には清少納言や紫式部のようなニックネームさえ後世に残こすことはありませんでした。
 その結果として、彼女の妹の娘である菅原孝標の娘(「更級日記」の作者)と同様に、公文書に名の残る男性との関わり(「~の母」や「~の娘」のような表現)によってその個人を識別するほかはなくなってしまったのです。


 それは中学生のときでした。

 「じゃあ、どうして『道綱の母』は『兼家の妻』とか『倫寧の娘』というふうに呼ばれなかったのでしょうか」
 と先生が質問したことがありました。
 答えることが出来ず困惑する生徒を前に先生はこう続けます。
 「当時は一夫多妻の時代。『兼家の妻』では当てはまる人物は複数です。そういう意味では『倫寧の娘』もひとりの人間をあらわすのは不適当ですよね。そういう点で『母』というものはどう考えてもひとりしかいないわけで、そんなところからも『道綱の母』という呼び名が適当だったのでしょう」

 今ならば、
 「じゃあ、孝標の娘はどうなの?結婚しなかったの?子供いなかったの?」
 なんて屁理屈をこねるところですけれど(実際孝標の娘も結婚して子も儲けていますが、「橘仲俊(孝標娘の子の名)の母」なんてのは聞いたこともないです、結局名を使ってもらうのにもある程度の知名度も必要なのでしょう)、
 中学生のころは疑うことを知らなかったのでしょうね。
 この先生の説明を聞いて、私は「なぁるほど」と思ったものでした。

 しかし、
 それと同時になにやら子供の悲哀のようなものも感じたわけで・・・

 (ひとりの人間の母というものはこの世にひとりしかいない。
 しかし母親にとっての子供は、産んだ数だけいるのだ)

 そう思うと、
 なんだか子供というものが何やら哀れで、
 どんなに想っても決して完全には報われぬ片想いを見るような気がしたものでした。

 (つまり、親子関係は一対複数のある意味バランスの偏った関係なのだ)
 そう思った私は
 (それじゃあ、絶対的な「一対一の関係」ってどこにあるのかなあ・・・)
 ふと、そんなことを考えたのです。

 結婚による夫婦の関係は今でこそ一対一が原則であり当たり前ではありますが、
 それも人間同士が決めた決まりごとあってのこと。
 重婚こそはないけれど離婚・再婚が珍しくなくなった昨今、
 夫婦が未来永劫につながる絶対的究極の一対一関係だとは、残念ながら言いがたいですよね。

 結局
 (生物学的に完全なる一対一の関係というのは、親とその一人子の関係だけなのだ)
 そんな結論に辿りついたような気がします。

 今、子供はひとりで十分と考える親御さんが多いようですが、
 「子供はお金がかかるから」とか
 「少なく生んで限られた子供をよりよく目をかけてやりたい」とか
 様々な理由の他にもひょっとしたら
 安定した「絶対的一対一の関係」への無意識の憧れのようなものがあるのかもしれませんね。

 実際、自分を振り返ってみると
 ひとりでふたりの子供を「同時に分け隔てなく相手する」というのは、
 これでなかなかのストレスを感じたりするものですし。


 私自身が体験できなかった、
 絶対的究極の一対一。

 それが、一体どんなものなのか、
 なんだかいまとなっては分かりようもないのですが、
 ちょっと覗いてみたいような気もします。

 子供は果たしてその安定した関係をどのようにとらえるのでしょうか?
 より充実した安心をもたらすものとして喜びを持ってとらえるのでしょうか?
 それとも、
 その絶対的過ぎる関係を逃げ場のないものに感じ、辛くなったりすることもあるのでしょうか?
 ・・・・

 もちろん、そんなことはあくまで想像に過ぎませんけど。

 それでも
 いろいろな弊害があったとしても、

 その「絶対的一対一」に憧れる

 そんな気持ちを否定できない私がここにいます。

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2005/06/13

ぎりぎりのところで

 余裕のある人生。
 いや金銭的にどうこうというのではなくて、あくまで世の中に対するものの見方とか姿勢の話なんですが、これってある意味理想的生き方といえますよね。

 どんなことであっても、夢中になればばるほど周りが見えなくなる。
 馬車馬のように前だけを見つめて走ってしまうため、広い視野が保てず、うまくいっているときはそれでもいいけれど、一旦行き詰るとこれがなかなか打開できない。

 でもそんなとき、一呼吸おいてひいて余裕を持って物事を見つめ直すとすんなり解決したりとか。
 意外と簡単な気の持ちようで物事はどうにでもなるような、そんな体験をされたかたも多いことと思います。


 例えば育児・・・

 これほど余裕をもってやることが大切だと言われているものもないかもしれません。

 相手は人間、しかも言葉が通じない赤ん坊だったり、仮に言葉が通じてもまだまだ自分の本能がその生活の唯一無二のルールであるような幼児なわけですから。
 きちんきちんとやろうとすればするほど、挫折感、無力感に襲われることになる。
 すこしハスに構えて、まあ、いいんじゃないのってなくらいで多分丁度いいのでしょう。

 よく描かれている理想的な母親像や父親像って、おっとりのんびりしていてそれでいてきちんと大事なところだけは絞めている。
 いつもちゃんとしていなきゃという強迫観念に支配されていないから、自分にも寛容だし、子供にも寛容になれる。
 簡単なようでいて、これってなかなか難しい。
 つまり自分の子育てに揺るぎない自信があって初めて可能なことではないか、と思うわけです。

 でも・・・
 でも、これ、あくまでいたらない母親である私の考えなのですけれど、
 でも、
 そんなふうに余裕を持って子供を育てられるひとって本当にいるの?
 って気がしてならないのです。

 大方の親というものは、母親にしろ父親にしろ、我が子のことになると一生懸命になりすぎるほどなってしまうものではないかと。
 それこそ、ぎりぎりのところで踏ん張って頑張って、迷いに迷いながら子育てしているのが、
 親ってもんなんじゃないのでしょうか。

 そりゃあ中には、
 「私は己の信念に基づいて○○だけは譲らないけれど、それ以外は子供の自主性に任せている。」
 というような確固たる信念のひともいるだろうし、
 「親が迷ってオタオタしていたら、子供も不安になってしまう」
 っていう意見ももっともだと思います。

 でも、
 できればこの子に合ったベストな育て方をしたい、
 でもそれが何なのかを未だに見つけられず、常に必死になって探し続けるその親の姿にも、子供は何かを感じてくれるのではないかな、

 そんなことを、
 子供と一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしている
 みっともないことこの上ないような、
 この母は思ったりするのです。

 結局、
 ひとは皆、ぎりぎりのところで子育てをしていて、
 そんな必死の子育てだからこそ、子供も一人前に育つものなのだ

 そう、自分に都合よく信じたいだけなのかもしれません、が。


 ひょっとしたら

 「余裕のある子育て」という言葉は、
 そのぎりぎりの崖っぷちを踏み外しそうになったときの、
 命綱みたいなものなのではないでしょうか。

 それを呪文のように唱えることによって、
 自分のバランス感覚をとりもどせる、

 そんな
 魔法のような力こそが、
 「余裕ある子育て」の真の効能なのかもしれませんね。

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2005/05/25

最後の砦

 それは、まだ子供がおなかにいたときのこと。

 区の保健所で母親学級というのがやっていて、そこに参加したことがあった。
 何をやるのかというと、ゴムでできた50cmで3キロの赤ちゃん人形を相手にお風呂に入れる練習をしたりオムツを替える練習したり、あとは離乳食の作り方進め方などの説明をされたりと、そんなことだった。

 そのとき今更ながら気が付いたことなのだが、赤ん坊というものは本当に裸で何も持たず何も知らずに生まれてくるのだな、と。
 そしてそれを迎え入れるこちら側は、というとまるで赤ん坊のことを何も知らない。
 ちょっと愕然とした。

 不思議なことに、紙オムツなどそれまで見たこともないような人間が、子供を産むという行為によって当たり前のように育児のプロフェッショナル並みの能力を要求され、そしてそれを曲がりなりにもこなしている。
 多くのひとが皆やっていることとはいえ、スゴイことだ。
 「そりゃあそうよ、それをやらなきゃせっかく授かった命にかかわることだってあるのだもの、できないなんて言っちゃいられないでしょ。」
 全くもってそのとおり。
 差し迫った状況ほど人間の能力を高めるものはない。

 以前友人から聞いた話なのだが、
 初めての赤ん坊が生まれて、それこそ毎日てんてこまいの女性がご夫君に
 「ちょっと赤ちゃんの世話をしてよ」と頼んだのだところ、
 「ぼくは赤ん坊のことを何も知らないからできない」
 と言われてしまったのだそうだ。
 それを聞いた奥さんは、
 「私だって子供を育てるのなんて初めてでわからないことだらけなのに・・・!」と憤懣やるかたない思いをしたという話。

 これを聞いたとき、大いに
 「そうだよ、そうだよ!!」と思ったものだった。
 初心者であることは母親も父親も変わりはない。
 それなのに、何故育児に関しては母親のほうがその担当者であり最終責任者になってしまうのだろうか。

 授乳するから?
 母性があるから?
 赤ちゃんは硬い男の人の皮膚より柔らかい女の人の皮膚のほうを好むから?

 いやいや、そのほかにも
 母親が「赤ん坊を守る最後の砦」になる合理的な理由はもっともっとあることだろう。
 でも結局のところ
 「生んだ人間こそが、それをやるのが一番だ」
 と自分をも含めた周りがそう考えていることが最大の理由なのではなかろうか。

 さていずれにせよ、この「最後の砦」という称号は私にとってはひどく重いものであった。
 それまでの人生において何かの「最後の砦」になったことなんて一度もなかったし、それもいきなり生死にかかわる重大事項なわけだもの。
 そりゃ、ビビる。

 でも、
 薄い皮が一枚一枚それを覆っていくように、
 最初はヤワだった砦も
 いつの間のかヒトカドの代物へと変っていったのだろうか。

 
 「女は弱し、されど母は強し」。
 
 「最後の砦」だもの、
 泣いてなんかいられない、

 そういうことのようである。
 
 実は、”Urayasu Unlimited”というサイトを拝見していて
 「免許のいる仕事、いらない仕事」という文章を目にしたのだが、
 独身男性で「育児」をこんなふうにを考えてくれている人もいるのかと、なんだか少し胸が熱くなったのである。

 それでふと
 「昔のこんな思い出を書いてみようか」なんて思ったわけなのだが・・・


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2004/11/19

小さな恋人

 このblogを読んでくださっていらっしゃる方々は、もちろん私に子供が2人いることをご存知であろうが・・・それにしても、上の娘の話がほとんどで、下の息子のことはほとんど出てこないなあ、なんて思われている方もいらっしゃるのでは?(そんなこと気にも留めていない方がほとんどとは思うけれども・・・)実は拙HPの中の「こどものページ」においても公開当時は娘の作品しか載せておらず、更新後の現在も息子の作品は全体の3割に満たない。
というわけで、姉弟差別無く接することが育児において最も大切という原則に従い、今日はネット上で冷遇されている、我が家の息子について書いてみようと思う。

 そう、うちには小2の娘の下に年子で小1の息子がいる。
 年子でありながらうちの姉弟は、ぱっと見、3歳ぐらい離れているように見られがちだ。
 上は4月生まれでおまけに身長も大きいほうだし、下は1月末の早生まれ、小柄とくるから無理もないのだが、それにしてもこの息子の幼さときたら・・・
 男の子をもつお母さんなら多分皆さん実感されているのことだろうが、男の子というのは女の子と比べると、実に他愛の無いものである。が、うちのボクちゃんを見ていると単純の一言。姉である娘からすると、この弟は「チョロい」と通り越して、「チョロすぎる」といったところだろうか。

 実は、この息子に母である私はメロメロなのだ。
 ものすごく可愛い!
「歯軋りしたくなる可愛らしさ」という表現を何かの本で読んだことがあるが、まさにそのとおり、奥歯をかみ締めて「う~ん、なんて可愛いんだ!」とうなってしまう程の溺愛ぶりである。
 もちろん、娘がいるときはこのことを彼女に気づかれまいと常に神経を使っているのだが、娘も薄々気づいているようだ。夫にも「もっと(娘にも)気をかけてやったほうがいいよ」と注意されることもあり、私も常にその罪悪感にさいなやまされている。息子と比べて娘が可愛くないわけはないし、済まない気持ちでいっぱいになる。

 でも、この息子への気持ちと全く同じ思いは残念ながら娘には持てないなあ。
 言わば、息子は私の「小さな恋人」なのだ。
 女が女に恋心を感じないのと同じように、娘に対してこの心と同じものを向けるのはちょっと無理かも・・・

 まだ、娘を産んだばかりのころ、漫画家石坂啓さんの「赤ちゃんが来た」というエッセイを読んだことがあった。その中に「・・・生まれたのが男の子でよかった、女の子とキスなんてレズみたいで・・・」というくだりがあって、かなりびっくりしたのを思い出す。
 生まれたての子供に対して異性を感じるなんて、これはフェミニスト的作品の多い石坂啓さんだからなのか?と思ったものだ。

 だがそれは違った。自分も男の子の母になってみて、それをつくづく痛感した。
母親にとって息子は「小さな恋人」なのだ。
 この「小さい恋人」は残念なことに思春期にもなると、母親にはろくに口もきかなくなる薄情ものへと変貌する。
 それは昔の蜜月を忘れられない母親にはかなりショックなことなのだろうが、 それでも、いつまでも母親との蜜月を楽しまれるより、ずっといいのかも・・・マザコンの男なんて、我が子であってもゾっとしないもの。
 そのときが来たら、息子にはこの母親を思い切り振ってもらいたい。
 それが健全に成長していることの表れなのだろうから、涙を呑んでその苦痛にも耐えよう。

 などと我が身のはかなさに酔いしれているうちに、我が家にはもう1組、はかない蜜月を楽しんでいるカップルがいることに、急に気がついた。
 もちろん我々夫婦のことではない。
 夫と娘のことだ。

 夫は私より1年9ヶ月(=我が家の子供が娘1人の期間)も早くこの恋人に巡り会っていたんだなあ・・・


 ・・・こんなことを考える私ってちょっとアブノーマルかしら・・・ね。

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2004/10/28

92時間の奇跡

 奇跡が起こった。
 92時間もの間、小さな2歳の男の子が土砂崩れに埋まった車のなかでたった1人生き抜いていたのである。車に同乗していたお母さんとおねえちゃんは土砂による窒息死、つまりほぼ即死に近い状態だった。

 車にあったポットのミルクで餓えをしのいでいたそうだが、「さあ、飲みなさい」と優しく語り掛けるひとはいない。
「もうすぐ誰か助けに来るよ」
「寒くない?ママのほうに寄りなさい」
そういう温かい言葉は全くない沈黙の暗闇の中である。
ぼうやが何か語りかけても、ママもおねえちゃんもしゃべらないし動かない。
そんな状況でこのぼうやは、何を思って孤独に耐えていたのだろうか。


 この2歳のぼうやの生還を知ってつくづく思う。
 命というものはかくも逞しいものなのか、と・・・。


 ところで、私は今までこうした災害に触れる度に、
「はたして自分に幼い我が子を守りきることができるのだろうか?」
という問いかけを自身にし続けてきた。

 「親」だからといって何か特別の能力が備わっているわけではない。
 子供からの「ママ(パパ)といれば大丈夫」という根拠がないようだが全面的な信頼と、「絶対守ってあげる」という自分の思い以外、何もないのだ。

 ・・・でも、それが1番大きな支えであり力なのかもしれない・・・

 そんなことを、今回の奇跡からしみじみ考えた私だった。

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2004/08/27

お礼を言っておきなさい

私がいつも行くクリーニング屋さんがある。
そこの奥さんは、私の母といっていいくらいの年代の方なのだが、とても気さくな方で私は大好きだ。
もっと安い店もあるけどその人と会いたいからそこへ行くというまあ、私てきにはお友達感覚をもてる人といっていい。
さてこの方、ご自分にもお孫さんがいるようでうちの子供たちもとても可愛がってくださる。
よく簡単なお菓子などを「お子さんに・・・」といって、頂いたりするのだ。
こんなに可愛がってもらえて親の私としてはうれしい限りなのだが、上の娘の反応は意外に冷淡だったりする。
あるときも、やはり子供たちにとシャボン玉のセットをふたつ頂いた。
「いつもすみません」とお礼を言ってうちに持って帰ると、下の弟は無邪気に喜ぶのだが、上の娘は無表情だ。
「今度会ったらちゃんとお礼を言うんだよ」といっても生返事しかかえって来ない。
それでさらに数回繰り返すと、
「・・・欲しくて貰ったわけじゃないのに・・・」などと憎まれ口をきいたのだ。
なにぃ!!!と私は憤った。
それが人から物を貰っている人間の言うことか!
なんて高飛車で不遜で礼儀知らずなのだ!!
そんな子供にはだれももう何もくれないし、優しくもしてくれないよ!
そんな子供に育っているなんて親として情けない・・・・云々。

ちょっと時間を置いて冷静になってからまた尋ねてみた。
「あのおばさんが嫌いなの?だからそんな失礼なことを言うの?」
それに対し娘は泣きそうな顔をして、ぽつりといった。
「違うよ・・・・ただ、あまりお礼を言えお礼を言えっていうから・・・」
その言葉にわたしははっとした。
そして義理の母のことを思い出したのだ。

「会ったらよーくお礼を言っておくように・・・」
これは義母が息子の夫や嫁である私にことあるごとに口にする言葉である。
田舎で一人暮らしをしている高齢の義母は、それこそ周囲の人々に助けられて何とか生活をしている状態だ。いつも世話になっている人々や親戚にはどんなに感謝してもしつくせない。
でも・・・(ああ、この「でも」以降が私という人間の未熟さを物語るのだが)、でもそう何度も言われると心の中で「またか」とため息をつきたくなってしまう。
(だって私の知らないところでのことだもの、感謝しろって言われたって実感わかないよ)
これが正直な気持ちなのだ。

今、娘の言葉を聞いて娘も私と全く同じ気持ちだったことに、私は気がついた。
そもそも感謝というのは、
「相手によくしてもらって、自分は本当にうれしい、
このうれしいと思っていることをその相手に伝えて、相手にも喜んでもらいたい」
そういうものではなかったのか?
しかし、うれしいという実感もないのに、相手に礼儀知らずだと言われないためにお礼を言うのが、なんと世間では多いことだろうか。
今回の場合、娘の態度は決して許されるものではないけれど、
私のほうにも世間体を気にしたり、「躾のなっていない親」と思われることへの恐れがなかったわけではない。

結局娘には、
「おかあさん、おばさんにこのシャボン玉をもらってあなたが喜んだと伝えたかったんだ。
そうすればおばさんも喜んでくれるかと思ったから」
といってこの話をお終いにした。
そしてこれからは「お礼を言っておきなさいよ」というのはやめて、
「よかったね、(こんなにしてくれるなんて)いいひとだよね」と言うようにしようと心に決めたのだった。

が、先日「お袋の教え」というblogを拝読して、その決心も揺らぎ始めている。
その中で、筆者のpoohpapa氏はお礼をきちんというように躾けてくださった母上に感謝の意を表せられているからだ。
世間の荒波をくぐり抜けいくためには、己が論理だけではならないときもある。
「うれしいという実感がなければ、感謝する必要がない」などという論理を、正しいと振りかざしたところで、ただの傲慢、そんなことをしてもツマハジキにされるのがせきのやまだ。
うーん、難しいなあ。

結局のところ、常に『人の身になる』姿勢を身に着けさせること、そこに究極の躾があるのかもしれない。
人に喜んでもらうための感謝、その原則も結局は『人の身になる』ことにより生まれてくる自然の思いであり行動なのだから・・・
いずれにせよ、未熟な親が未熟な子供たちを育てていくのである。
「難しくて当然なのかもしれないなあ」と思いつつ、
そうして試行錯誤はまた続いていくのであった。

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2004/07/28

「ヘレン・ケラー」と「ナイチンゲール」

テーブルに娘(小2)の夏休みの読書記録カードが置いてあった。
書いてあった本のタイトルが「ヘレン・ケラー」と「ナイチンゲール」。
これを見て私は思わずニヤリとしてしまった。
「・・・ついにこの子も偉人伝を読む頃になったか・・・」と。

私の通っていた小学校は3年生になると、図書室で本を借りてもいいことになっていた。
それまでの学級文庫とちがい図書室にはそれこそ山のように本がある。
運動が苦手で、外で元気に遊ぶより部屋で本を読むほうが好きな子供だった私にとって、図書貸し出し解禁は大きな事件だった。
初めての貸出日、わくわくしながら放課後図書室へ行くと、果たしてそこには小3の私には想像以上の多くの本があった。
多すぎて一体どれを借りたらいいのかわからない。
適当に選んで借りてみた第1号は「消えた国旗」とかいうタイトルで日韓併合や在日朝鮮人の話だった。
うーん、小3の私には難しすぎた。
漢字も読めないものが多く「奥さま」というところを、こころのなかで「歯さま」と読んでいた。
結局最後まで読んだかどうかも今となっては定かではない。
次の貸出日にはその本を返しながら途方にくれた。
「本は借りたい、読みたい。でもどれが面白いのか?どれを借りたらいいのか?」

そんなとき友達のうちでやはり図書室から借りたという本を見た。
「ナイチンゲール」。
白衣の天使フローレンス・ナイチンゲールの伝記だった。
「これだ!今度はこれ借りよう!」
ご存知のとおり、この子供向け偉人伝記シリーズはどの図書室にもどーんと置いてある。
これからはこのシリーズを借りればいいのでもう迷う必要はない。
嬉々として向かった図書室、だが「ナイチンゲール」は借りられているから当然なく、
「ヘレン・ケラー」「キュリー夫人」といっためぼしい女性偉人伝も見当たらない。女の子っぽい子供だった私だからやっぱり女の人の話が読みたかったのに・・・
仕方がないので何の脈絡もないのだが「シュバイツァー」を借りてきた。あくまで「ナイチンゲール」を借りるまでのつなぎのつもりだったので、一応最後まで読んだがほとんど内容は覚えていないが。続いて、「ノーベル」、これもほとんど仕方なく借りた感じで、3回目にようやく女性伝の「キュリー夫人」を借りることができた。
最初のお目当てだった「ナイチンゲール」はかなりたってか読んだような気がするが、やはり印象は薄い。覚えているのは家がお金持ちだったとか、町の名前(多分フィレンツェ)をつけられたとかぐらい。

感動や知識を得る為に本を読むのではなく、ただただ「本を読む」こと自体が目的だった時代の話だ。今になってみると「子供だったんだなあ」とかえって微笑ましくすらあるが。


最後にわが娘の読書記録の話に戻るが、2冊目の「ナイチンゲール」からとんと進んでいないようだ。
彼女の伝記ブームはもう過ぎ去ってしまったのか?
いずれにせよ子供と暮らすのは、もう一度人生を生きるようで楽しいものだ。


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