2016/07/11

アベノミクスはこうして信任された

さて、
昨日の参院選。


選挙ってのは投票所に行くのはどうも面倒なものですが、
それでも私はかなり好きなほうです。

万難を排して炎天下の中、自分の小さな小さな一票を投じに行く。
その理由は、

私のこの一票がこの国の未来を変える確信があるから…

ではもちろんありません。

まあ、あれですわ。
8時と同時に始まる選挙速報番組を心ゆくまで楽しむため、ですわ。
馬券を買わずに見る競馬などありえません。
まさに「参加してこその選挙!」なわけです。

ふざけているって?
そうかもしれません。
でもそんな風にテンションをあげないとなかなかつらいものがある。

与党はとても信任する気にはならない。
しかし野党はもっとダメダメだし・・・
まさに八方ふさがり。


……


で、
結果は思った通りの与党の圧勝でした。

われらが首相はこう仰います。
「しっかり、この道(アベノミクス)を力強く進んで行け、と信任を得ることができた」と。

しかし、
投票した方はどうなんでしょう。

テレビ画面の下部に表示されるTwitterの言葉はだいたいこんな感じ…

「信任っつうより野党がだらしなさすぎるからしょうがないよなぁ」

こういう発言が多いこと多いこと。

まあ、いいたいことも分からなくはないんですが、
……でも、あぁ、なんだかがっかりしますね。

 
(おいおい、
そんな言い訳めいたことを言うなよ。
そんな100%信任なんて
いつの時代のどんな状況にあったっていうのかい?
それでもあんたはそこに投票したんだろ?
それを政治家が信任って受け取って勝ち誇るのはわかりきっていたことじゃないか?
だったら堂々と胸張って
「おう、俺は信任してやったよ!頑張ってこのまま進めてくれよ!」
ぐらい言う覚悟を持って投票したらどうなんだい!)


私は、
政治の世界っていうのは
その国民の姿をそのまま表しているものだと思います。

野党がだらしないのは、
野党そのものの責任もあるのかもしれないけど、
それだけじゃない。

私たちが心のどこかで
安定した自民政権を望んでいる。
政権交代による不確定要素が自分の生活に入り込んでくることを嫌がっているんです。


(でも、
与党にあまりに傲慢になられるのはちょっと困るしな…)

その程度の不満では
とても心中覚悟で頼りない野党に組するひとはいない……でしょ?

当然です。

こうしてアベノミクスは信任されたわけです。
これは、
掛け値なし正真正銘の「信任」です。


このことを我々有権者はまず認識すべきでしょう。


そこから、

それを良しとするか、

はたまた、
危険かもしれないが
あくまで政治の更なる健全化を目指し
代わりの勢力(=政権交代可能な野党)を国民自ら育てる道を模索するか、

その選択肢が見えてくるのだと思います。


……


しかしながら、

この日本には「政権交代」ってものがそもそも無理なのかな…

その思いは年々確信に近づいてしまっているのも、
正直なところなんですけどね。

|

2012/12/14

現状に満足しているのですか?

えっと、今度の日曜日選挙ありますよね。

唐突ながら、私結構好きなんですよ、この選挙ってやつが。

でもごめんなさい。
政治にそんなに詳しくなんかないんです。

政見放送は基本的にはスルーしてしまいます。
だって、あれって勝手に自分の主張を一方的に言ってるだけなんで、
なんだかその身勝手さとか「自分のことを棚に上げ」感半端ないじゃないですか。
朝の忙しいときとか、
夜のおくつろぎタイムにあんなの見ちゃうとイライラしちゃうんですよね。

でも討論形式のはなかなか好きかも。
参加者がエキサイトしている中にも
ただひとり冷静そうな発言などされるとその発言者について
かなりポイント上がったりします。


とまあ、そんな感じなので
とても投票を棄権しようなんて気にはならない。

そんなことをしようものなら、
あの選挙後の速報がめちゃくちゃつまんなくなっちゃうじゃないですか。
投票しないで速報見るなんて
馬券を買わないで競馬中継見るようなもんでしょう。
そんなのいやです。


だけど、
棄権する人って多いんですね。
特に若い人に。

理由は、
「誰に入れたって一緒だから」とか
「政治に興味ないから」とか
「誰に入れたらいいかわからないし、そんな状態で投票するのは怖いから」とかとか…

あらあら、
選挙権をもらってから30年近くなりますが
一度だって
「誰に入れたらいい」なんてことを確信して投票したことなんて
私だってないですよ。

有体にいうと
せっかくある投票権を使わないともったいないから、
だから投票に行っているようなもんです。


結局
棄権する人というのは
「現状に満足しているから」棄権するってことなんですよね。

面倒とか、
わからないとか、
本当に困っているんならそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。

そう思いませんか?


ただ私は、

「現状に満足していない」から、
私にとっての「現時点で最悪でない候補者」を消去法で選ぶ、

それだけのこと。
約30年間そうやってきました。


……


ま、
その結果が今の日本の現状なので
あまり説得力はないのかもしれませんけどね……

|

2011/12/28

「国」って誰?

……たとえば、社会的な問題について
「何かご意見がありましたら、メールやFAXでお寄せください」
と司会の女性アナウンサーが言ったとして……

そういうとき
必ずといっていいほど寄せられる「ご意見」があります。

それは
「国の責任なのになぜ私たちがそれを負担しなくちゃならないのだ!」
というもの。

この「ご意見」に触れるたびに私はこう思うのです。
一体(この人の言う)「国」って何なのか?誰なのか?と。


多分、いわゆる「政府」のことなんでしょうね。
でもじゃあその「政府」とは誰なのですか?
現首相である野田さんですか?
政府をつくっている与党民主党なのでしょうか?
それとも
その政府で具体的に実務を担当している高級官僚たち?

まあ、「国」ってものが上述の人たちの誰かだとして……
次にこんなことも疑問として浮かび上がってきます。
「その人たちが責任を取って負担を担う」というのは一体どういうことなのでしょうか?
やっぱり個人の私財をなげうって補填しろということなのですか?
それとも給料を一部、あるいは全額返還しろということ?
どうなんでしょう?


……


不思議なのは
「国」のことは大声を上げて非難をする人は数多くいても
面と向かって誰かを名指しで非難する人というのは意外といないということ。
「国」という顔の無いのっぺらぼうを叩くのに、勇気はあまり要りません。
極端な話、
事情がよくわかんなくても「国」を叩いとけばいいような気安さがあるから。

それに対し
顔のある首相や特定の官僚、企業のトップを叩くのには
ある程度覚悟を決めて理論武装をする必要が生じます。
わけもわからずに叩くのは
その顔のある敵に「何も分からんくせに」と返り討ちにあう危険性もあるから…


というわけで、
「国が、」
「行政が、」
と二言目には仰る善男善女の皆様には、
安易にそう言いたがる気持ちも分からないではないですが、
「それって
傍で冷静に聞いているとあんまり格好いいモンではないですよ。」
と言いたいのです。

どうも「とりあえず言っている」という感じになってしまいます。

せめて
具体的に
誰にどういうふうに責任を取ってもらいたいかを
述べるべきでしょう。


そうしないと
主権を持っている国民としては
「クニ」=「私たち国民」という図式も少なからずあるわけで、
自分の発した非難が
そのまま自分に降りかかってくるなんてことになりかねません。

そして、
そんな杜撰な糾弾を
「国」の指導者たちは

屁とも思っていない

のは明らかなのですから……

|

2010/08/30

「悪しき民主主義」と「良き独裁」

先日、阿久根市政の混乱を取り扱ったレポートを視聴しました。

マスコミがまとめたレポートなのだから、
その作成者や放映する局の意図が盛り込まれてるのは
仕方がないことですが、
それでも
精一杯中立の立場で取材しようという
そんなに偏った視点のない番組だったと思います。

それでも

やはり竹原市長の過激なやり方は常軌を逸している
どんな正義であってもルールを破ってまでやることは
それはもう悪なのだ

という
いわゆるジャーナリズムの良識にのっとった
コメントのみが
スタジオのコメンテーターの口からは出てくる。

やっぱり公の席ではこうとしかいえないものだしだなぁ……
なんて思っていると
最後の締めとしてこんなコメントが述べられていました。


仮に「良き独裁」というものがあったとして、
それにくらべて
我々の民主主義がより劣ったものであったとしても、
われわれは民主国家として成り立っていこうと決心したときから
その良き独裁からですら
この不完全な民主主義を守っていく道を選んだのですから


……


うーん、
このコメンテーター氏の言いたいことはわかります。
どんなに良き独裁であっても
独裁にはそれが暴走したときに歯止めになるものがない。
反対に
それがどんなに悪しき民主主義であっても
多数の人間の意志によって決定がなされるこの制度では
暴走は食い止められるのだから、

だから
民主主義は多少の悪を含んでいたとしても
守っていくべき制度なのだ、
とそう言いたいのですよね?


でも
それってとっても正しいとは思うのですが、
それでは
民主主義のルールにのっとってやっているうちは
ことに行政改革や官民格差廃止という点においては、
ズバッした政策がとれる日は
永久に来ないということなのですね。

だって
誰だって失業したり大幅に給料がカットされたりするのは
我慢なら無いものでしょう?
逆に我慢できる程度の改革では
(例えば
年収平均200万前後の市民と700万の市職員の格差のように)
どうしようもないところまで来ているから
いつまでもこの問題が解決しないのではないでしょう?


議員定数削減、議員給与カット、無駄な経費削減、
どれもやろうとすれば反対される、
そりゃそうですよ。
当事者やそれを支持する後援者
そしてそれにつらなる有象無象の利権団体にとってみれば
どんな予算だって必要最低限な額だし
どんな定数だって必要最小限わけですから。
そして
言うまでも無くその当事者とそれにぶら下がって食い扶持を稼いでる
人々も民主主義の制度に組み込まれている
守られるべき市民のひとりひとりなのです。

誰だって
自分のパイの取り分を減らしてまで
他人の取り分をふやしてやろう何て思わない。
取り分が少ないと不平を言う人たちには
もっと大きいパイができるまでもうちょっとの辛抱だから、
と待たせる……

そのうち
経済政策が上手くいって
景気が上向けば誰も文句なんか言いやしない。
そうなればみんな金持ちになることに一心不乱になり
人の懐具合なんて忘れちゃう。


……


だから
これからもこんなことが続くのでしょうね。


だって
私たちは
たとえ悪しくとも民主主義という制度を選んだのですから。

愚かであったとしてもより多くの人の意思を尊重する制度、
それが
たとえ英雄であったとしても
たったひとりの独断に
踏みにじられることがあってはならないのですから……

|

2008/11/05

「当選するのは白人の男」神話が崩壊した日

これは、
半年ほど前に
あるエッセイで読んだジョーク(?)だったか……


「今回の米大統領選の結果は最初から分かっている、
当選するのはより保守的で年寄りな白人の男のほうだ!」

っていうヤツ。


……


笑っちゃいましたよ。
確かに、ちょっと前までそんなかんじでしたよね。

もっとも「保守的」とか「年寄り」っていうのは、
必ずしも当たっているとは思えませんでしたけど。
場合によっては保守派が敗れることもあるし、
テレビの時代になってからは、
そのビジュアル効果から
ハツラツとした若者が老練な実力者を破ることは
さほど驚くに値しない結果になって来てはいました。


それでも、
その他の「白人」と「男」という条件が、
少なくともそう簡単に崩れる壁とは、ね…

正直私にはそう思われませんでした。

このジョークを読んだそのころは
まだ民主党の候補者争いが真っ只中だったころで、
結局はこの候補者争いにクリントン氏が勝とうかオバマ氏が勝とうが、
老練な白人男性候補であるマケイン氏のところに
お鉢が回ってくるだけのことなんだろうと思っていたし、
ごく最近までも
優位優位と言われていても、
やっぱりいざとなると次の大統領は共和党のマケイン氏になるのだろうな、と……


だから、ねぇ……
だから
びっくりです。


ここだけの話ですけど、
オバマ氏の勝利に一番寄与したのは
共和党のペイリン副大統領候補じゃないかな、
と私は思っているのですよ。


手堅く堅実な実力派、
実績もあり未知数の新人にはない安心感がウリであったマケイン氏に、
奇妙に綺麗で素人臭いペイリンさんは
とんでもないお荷物になっちゃったんじゃないかなってね。

「保守派を取り込むために
中絶・同性婚禁止、銃規制反対の彼女を副大統領候補にした」
というのがもっぱらの評判でしたが、
なんだかミーハーで浅はかなイメージを共和党に植えつけちゃった気がします。
「結局はマケイン陣営も人気取りに必死なんだよな」
ってかんじでしょうか。


だから、
地滑り的勝利をおさめたオバマ氏ですが、
この大勝利は敵の自滅によるところも多分にあるようだから、
正直前途多難でしょうね。

誰かが、
「CHANGE(変化)」なんて言葉を
キャッチフレーズに上げる政治家なんて一番信じられない。」
って言っていましたけど、
確かにそう……


CHANGEなんて

「漠然としていてはっきりしないけどなんとなく耳障りのいい言葉」、
の典型ですもの。

オバマ次期大統領には
あくまでこの言葉は選挙用のキャッチフレーズと言うことにとどめていただいて、
是非とも
具体的で有効な政策を採っていただきたいもの……


そうやって、

「ペイリン女史のおかげで勝てたのかも」

なんて

そんな意地悪なこと考えている私のような連中を
是非
ギャフンと言わせて欲しいものです。

|

2008/09/04

「キャラが立つ首相」がいいですか?

突然の首相辞任によりにわかに騒がしくなった永田町。
後継は、既に総裁選出馬を表明した
麻生幹事長が本命と言われているが、
「無投票で代表続投が決まっている民主とは違うんだ」
というとこを見せたいがための四苦八苦の調整が続けられているようである。
(茶番なのはミエミエって感じではあるが)

さて、
その本命と言われている麻生氏は
今回四度目の総裁選出馬となるわけだが、
多分今度こそ当選するんだろうなぁ……

考えてみるとこの3年ほど
夏の終わりには必ずと言っていいほど
この人の顔がテレビ画面上をチラつくようになっている。
確かに最初の総裁選は小泉VS橋本という本命のもと
単なるその他の対抗馬の一人に過ぎなかったが、
2回目の総裁選は安部氏の次点の2位
3回目の去年の総裁選では
当初の評判はほぼ確実に次期総裁って感じだったのに、
あれよあれよと言う間に
「ひょっこり出てきた福田氏に持って行かれちゃった」
というまさかの敗戦を喫してしまい、
まさに今回こそ三度目ならぬ四度目の正直と言った所なのだろう。

前回の総裁選のときには
自らの長所を「キャラが立っている」と評した麻生氏。
そういう意味では確かに
地味な福田さんに較べても
国民の評判も満更悪くないようだ。
ネットで見かけたある麻生氏支持者の評価によると、
「麻生氏の発言は常に明瞭であり、素人にもわかりやすい」
「主義主張が一貫している」
「『NO』と言える日本人である」
だとか。
2番目の「主義主張が一貫」というのは
正直どうだろうという気がしないでもないが、
確かに
「分かりやすい」、「ハッキリ物言う」というのは
彼のイメージとして既に定着している感がある。

でもなぁ、
ハッキリ物言うってのは彼の場合失言の多さ
野中広務氏への部落差別発言(本人は否定)やアルツハイマー発言
にも繋がっているようだし、
分かりやすいってのも
上手く都合に合わせて丸めこんで話しているからって
気もしなくもない。
(だってそんな簡単なモンじゃないんじゃないの?現実ってさ……)


結局
この人が好きで支持したり期待しているひとって、
彼がズバズバモノを言っているのを聞いて
鬱憤をはらしをしたいような人なんじゃないかな、と。

つまり
某都知事や、
大層なことを言ってた割には
メダルを逃して批判されまくってる某監督みたいな人のことを
「傲慢さもまた男らしさの現れ」として
好しとしているような人たち。
ちょっと子供っぽいっていうか、
そんな感じの人たちに担がれているだけの気がしてならないのだ。


もちろん、
それがこの国の大多数を占めているようなら
それはそれで仕方がないのかもしれないけど……
でも
ほんとうにそれでいいのかなって

そんな気がするのは私だけなだろうか。


本当のところ、
派手なキャラや発言による一時の人気やじゃなくて
もっと清濁併せ呑んでいける覚悟のあるような人こそを
選んでほしい気がするだが、

確かにそんな人、
ざっと見回してみたところで、
全く見当たらないというのが辛いところ、なのだが……


|

2008/04/15

「自然がいいに決まっている」けど・・・

朝のラジオから流れてくるリスナーからのメッセージ。

「何故今この(食の安全が危機に陥っている)時期に
『クローン牛が大丈夫』なんて安易発表がされるなんてわからない」
「自分は絶対クローンでつくられた牛の肉なんて食べない」
「どうしてそんなクローン食品なんて開発をしているんだろう、
自然に作ったものだけを食べたいのは誰も一緒なのに!」
などなど・・・

どうもこの番組では今朝、
先日「自然に生まれた牛の差異が認められなかった」と発表された
「クローン牛」
のことについて取り上げていたようです。
それについての感想や意見が
エンディングに際しまとめて読まれていた模様・・・
途中でチャンネルを替えてやってきた私には
その本筋はさだかではないのですが
まあ、これらのリスナーからの反応によると
食の安全性についての危機感を訴えるような内容だったと思われますね。

だから無理もないのでしょうが、
それにしても
皆さん判で押したように同じような意見を送ってきていること・・・
その単純さに
なんだか苦笑いが浮かんできました。

もちろん私だってクローン牛を食べたいなんて思っていませんし、
クローン食品の危険性(特に種の非多様性による全滅の危機など)
についても聞いております。
でも、
「今までどおり皆で自然な牛を食べればいいんだ」
「どうしてこんな研究しているのか意味がわからん」
なんて小学生みたいな感想を
わざわざ電波にのせてまで声高に主張する人には
失礼ながら失笑を禁じえません。

(家族で
「いやんなっちゃうよなー」って愚痴り合っているんじゃあるまいし、
もうちょっと多角的に見るとか、
社会背景から考察するみたいな考えが
一つくらいあってもよさそうなものだ。
・・・それとも
そういうのは番組側が面倒くさいから握りつぶしちゃったのかな)
などと考えてしまいます。


そもそも
人間という種自体が
有史以来の異常発生で
増えて増えてどうしようもないところまで着てしまっているというのに
今更今までどおりの自然が一番だなんて
そんな状態でこのさきずっと世界中の人を十分に養っていけるものなら
誰だって大金をかけてクローン食品の開発なんてしやしないではないでしょうか。
もちろん、
少ないリスクで大きな収穫だとか
生育期間の短縮で生産コストを抑えるという
生産者側の儲けを意識しての開発であることも
否定はできません。
でもそれだってそれだけでは一概に悪辣な経営理念とは言い切れない・・・
だってコストやリスクを抑えて利益を上げるというのは
生産者側が当然目指すべき道なのですから。

結局のところ
この場合一番問題となるのは

「クローン技術が本当に安全か」

ということにつきるのですよね。


要は
いったいどこまで研究を重ね
どこまで安全が保障されれば製品としての正当性を
消費者が受け入れられるかということ。
そうなってくると
所詮素人である消費者は専門家の発表に頼らざるを得なくなります。
だが、
その専門家たちの数々の虚偽や隠蔽により
すっかり信用ならなくなっている
それが食の安全を巡る昨今の悲惨な現状だと言えましょう。


その辺のことも考えずに

ただ、
今までにない安全性不確かな技術だからけしからん、
みんな今までどおりの自然のものを食べることにして
それにあぶれて食べられないような人は
我慢しつづければいいのだ

というのもどうでしょう、ね・・・?
皆さんはどうお考えになりますか?


もちろん
「自然がいいに決まっている」というのはわかっています。
でも、
そこで止まってしまっては話にならないではないか、

と私は思うのですが・・・

|

2008/04/08

「煽られる不安」と「身近な現実」

・・・
エコ、エコと
その言葉を聞かない日は
ここ数年ほとんどなくなりましたが、

例えば、こんなもの・・・

植物自身にとっては害にしかならないという噂の夜桜のライトアップ、
深夜までも延々と続くテレビ放送、
真冬でも二の腕の丸出しにした女性アナウンサー、
コートを着て歩けないほど暖房の効いたショッピングモール、
また反対に、
羽織るものを一枚持ち歩かねばならないほどガンガン冷房の利いた飲食店などなど

こういうものってほとんど変わりないような気がします。

どうしてなんでしょうか?
その程度のエネルギー消費という贅沢はまだまだ平気ってことなんですか?


結局、

観光客を呼ぶためには、
視聴者のニーズに応えるためには、
入ってきたばかりのお客様にはこれぐらいの暖かさ(あるいは涼しさ)が必要だから、

なのであり、
何より

うちだけがそれをやめるわけにはいかないんだよ、
うちだけが損するのはごめんだよ・・・

という理由が最たるものなのでしょうね。

つまりは
経済が一番で環境はその次か、もしくはその次の次の次ぐらいだってこと。


・・・


ところで
ちょっと前の4月1日には
こんなニュースが流れていましたね。
なんでも今年の夏は北極点を覆う氷がなくなる可能性があるとか。
夏になっても溶けることのない多年氷面積が観測史上最低となったことによる推測のようです。
(詳しくはこちら参照のこと)

まあ、大変!
でも
そんなニュースのあとには、
夜桜の美しいライトアップの姿が映し出されるのです。


それはまるで
「この先地球は大丈夫なのか?」
という不安を煽るだけ煽っておいて
「いやまだ全然大丈夫だよ」といわれてるようで・・・

そういうものを見せ付けられるのは
正直辛い。


そう思っているのって、私だけなんでしょうか。


いや、「その不安」が私だけの単なる思い過ごしであり
実際「地球がまだまだ全然大丈夫」だというのなら、
逆に
こんなに嬉しいことは
ないのですけど、ね・・・

|

2008/02/29

石破防衛相のしゃべり方に思うこと

このところの
イージス艦と漁船の衝突事故の報道。

それにより連日のように
TV画面に出てくる石破防衛相なのだが、
彼の特徴のあるしゃべり方が
だんだん気になるようになってきました。


丁寧にゆっくりと
一言一言を噛み締めるように話すその態度。
それは素直に受け取れば
「聞き手に向かって
 自分の主張を十二分に理解してもらおう」
という決意のもと
編み出されたものなのだ、
と解釈すべきところなのでしょう。

しかし、
この噛んで含めるかのような
ゆっくりとした丁寧な物言いが
一部の人たちにはかなり不評のようなのです。
「人を小ばかにした感じで気分が悪い」とか、
「上からの目線でモノを言っているのがミエミエ」とか
まあ要は、
「お前らにも分かるように話してやってんだぞ!
 よく聞いていろよ、バカどもが!」
的な空気がプンプン漂っているのが
嫌でならないということのよう・・・

実は
かくいう私もあまり彼の話し方を好きではないほう、なのです。

「丁寧さ」も度を過ぎると
慇懃無礼と受け取られかねない、
石破大臣だって
それを知っていないわけ無いのに
あんなふうに喋るなんてよっぽど自分に自信があるのだろうな、と
その自信満々の態度には
正直イライラさせられている・・・

もちろん
政治とは自分に自信のある有能な方に
やっていただきたいものだから、
だから
何言ってんだか分かんないとか
口を開けば失言ばかりなんて先生方よりは
よっぽどいいことなんでしょうが。

でも、
あんまり奢ったような物言いが続くと
せっかくの論理的な弁にも
「聞く耳もたずの国民」が増えちゃうことになりそうですよ・・・

だって、
実際大方の国民って
確かに愚かなもんだろうけど、
だからって
それをあからさまに指摘されるのは
そりゃ我慢ならないもの
(愚か者ほど妙にそんなことに敏感だったりするものです)。

まあ、
冷静で賢明な国民の皆さんはそんなことないんでしょうが、
意外と
この国には
そのレベルまで行き着いていないひとが多いみたいですから・・・

もちろん
悲しいことに
私も

「そのレベルに行き着いてないうちの一人」、

ということなんですけど、ね。

|

2008/02/06

エコな生活の効果はいかに?

例えば日曜の夜に
環境問題を扱う報道やドキュメンタリーを見たとしましょう。

そこに映し出されるのは
氷が解けてしまったため
それまでの生き方ができなくなったホッキョクグマの
ガリガリに痩せこけた姿とか、
干ばつが続き既に無くなってしまった川の流れ跡とか
反対に海に沈んでしまいかけている
小さな島に暮らす人たちの姿など・・・

そういうものを見せられるとちょっと前までは

ああ、なんとかしなきゃ・・・
まずはエコバック使わなきゃ、
それからマイ箸も持ち歩かなきゃ、
今まで以上に節水・節電に努めなきゃ

とまあそんなことを考えたりしていたわけなのですが、
でも

どうも思ったように上手くいかない

最近とみにそんな気がしてきました。

前述のような報道もますます最近多くなってきましたから
個人的には環境問題に意識を持つ人は
以前よりずっと増えているのでしょう。
それにもかかわらず
CO2の削減は思ったようにはいかず、
「このままじゃいけない」という脅迫感だけが残る。
この脅迫感から「何かしなきゃ」と慌てて辺りを見回すのです。
だがそうやって見回したところで
具体的に自分の出来る「エコな生活」ときたら
どうもその危機感からは程遠く
能天気なほど気軽なものだったりする・・・
そこで生まれてくる素朴な疑問。
ほんとうにこの程度の努力-
エアコンの設定温度を夏は上げ冬は下げる
レジ袋を断る
ごみの分別をきちんとする
などという努力で地球を救うことなんてできるのでしょうか?

・・・

いや、
素人の私の意見ですから何の根拠も無いことですが、
どうもそれは無理のような気がしてしまうのですよね。
もし本当にこの危機的状況を回避したいのなら、
国家が戒厳令のようなものをひいて
エネルギー使用量とCO2の排出量を厳格な管理下の元におくしかない、
やはりそうでしょう。

このままいけば
いずれそういう日がくるのかもしれません。
だが今はまだその段階ではない。
何より60数億もの人を養うための経済を犠牲にしてまで
環境問題の全面解決に乗り出すわけにはいかないのです。
(だいたいそれをやったからって
本当に解決できるかも未知数なわけですから)
だから
「経済をも優先させた上で
出来うる限りの配慮を環境にはらう」
というその辺りが
今現在の落としどころということなのでしょうね。
そしてその落としどころが
企業としては環境に配慮した製品や
CO2を排出しないエネルギーの開発であり
個人としてはエアコンや箸やごみ分別といった小さな努力なわけなのでしょう。


それでも
それで環境問題が解決する日が来るとは到底思われないんですよね。
そういう技術の開発や小さな努力の積み重ねで
温暖化を食い止めようとする力と
温暖化のスピードはどう考えても
後者のほうが勝っているように思えてしまうから、
だからあくまで
こうした努力は実際の危機的状況
―例えば温暖化による気候変動で
全世界に暴風雨がふきまくり
世界経済がそれにより壊滅的打撃を受けるとか―
が訪れるまでの
いわば
気休めや自己満足のための努力にしか過ぎないのでは・・・?

そんなふうに私には思えてならないのです。


だからって
何もしないわけには勿論いかない
というのもわかっているのですが・・・

結局

みんなが
多分無駄と思いながらも
先の先を見ないようにして
気休めのような努力を繰り返す

その不毛さ・・・

環境問題の根の深さ、深刻さっていうのは、
とどのつまりは
そういうことなのかもしれません。


|