1月4日。
帰省先から帰ってくるとまず覗くのは、郵便受け。
その中には
取り置きしてもらった新聞の束と、年賀状が入っています。
年賀状。
この年に一度の旧交を温める遣り取りが昨今、
実は結構な情念の遣り取りでもあることが
取り沙汰されているらしい、
ということはもう皆さんご存知ですよね。
そう、「写真入年賀状」ってヤツによって……
どうも写真入の年賀状の評判とは
一般的にみてあまり芳しくないもののようです。
子供のみの写真の場合、
「一度も会ったことのない子供の『どアップ』なんてもらっても正直困る…」
「まだ赤ちゃんか幼児なら微笑ましいけど
高学年以上はとんだ親ばかにしか見えない」
などという辛口の意見。
「せめて自分の知り合いも写っている家族写真ならうれしいんだけど」
という言葉を信じ家族一緒の写真を貼り付けると
「仲良し家族の見せびらかしのようでイラつく」
「容色が衰えた自分を晒すなんていい年して恥ずかしくないのかな」
というご意見も出てくる。
その他、
「こちらは子供が出来ずに苦しんでいるのに、無神経すぎる」
「これ見よがしで自己満足な幸せの押し付けにしか思えない」
などなど……
あの…
その年賀状は
一応「年に一度は葉書を遣り取りする」ような
ある程度の親交のある方たちからの
便りなんですよね……?
結局
その年賀状に不愉快になるのは、
写真がついていようがいまいが
関係ないんじゃないですか?
だって、
写真がなくてもあるでしょうよ、
家族のこの一年の業績を逐一長々と印刷して報告するタイプ。
あれを心の底からうれしく読むのは
自分の親兄弟や相当気心の知れた友人だけだと思いませんか?
そしてそれは逆に言えば、
微笑んでそれを読めないのは
あなたにとって「その差出人は『気心の知れた友人』ではない」から
なのではないでしょうか。
つまり
その差し出した人に対する普段からの想いが
「子供のどアップを送りつける親ばか」という感情になり
「自慢たらたらの内容にイラつく」という気分に繋がる……
年賀状という
この「一年に一度の旧交」は、
そういう意味で
「その相手のことを自分は本当はどう思っているか」、
というバロメーターのようなものなのかもしれません。
さて、
あなたは今年何枚の年賀状を微笑ましく読めましたか?
また
あなたの年賀状を何人の人が
微笑んで目を通してくれているでしょうか?
これについては
自分のことを振り返って考えてみると、
かなり怖い気がする
私、なのです。