2009/10/27

伝わる憎悪

それは、
この前の旅行中のこと
駅にあったお菓子の自動販売機での出来事でした。

コインの投入口のそばに書かれている
その国の言葉で書かれた「買い方」を読んで
どきどきしながら
注意深くお金をいれ
チョコレートバーのボタンを押し
おつりが戻るレバーを私は回したのです。

おつりは戻ってきました。
しかし、肝心のチョコレートバーは取り出し口に落ちてきません。
「しまった、やり方が間違ったか?」と
もう一度「買い方」を確認するのですが、別に何の問題点も見当たりません。
…いや?まてよ…
と、良く見てみると
ああ、どうやら落ちてくるはずのチョコバーが金具に引っかかっていたのでした。
あーあ、こういうこと……
自動販売機には付き物の事故みたいなもんですね。

しかし、
そのときは
そのままあきらめるのも癪に思えたんでしょう。
よせばいいのに
近くの売店があったので
ダメモトでのそこの女性に片言の英語と身振りで尋ねてみたのです。


そのときの
その販売員の彼女のにがにがしげな顔といったら……

(訳わかんない、頭おかしいんじゃないの?!
言葉もロクに話せないくせにごちゃごちゃ言うんじゃないわよ!)
とまあそんな感じ。

もちろん本当は何と言っていたかどうかはわかりません。
でも不思議なことに
言葉がわからなくてもそういう憎悪の念は
確かにこちらに通じるものなのですよね。

結局
自動販売機のことを私が言っていることは
彼女は理解したようですが、
「あの販売機はうちとは関係ないのよ!」というような
ゼスチャをしてプイとよそを向いて全てが終わりました。


ああ
こういうのを何っていうのでしょうか?
頭から冷水をぶっかけられたような、そういう気分。


誰が悪いとか
そういう問題なのではないんでしょうが、
外国人として旅をしたり
外国人として生活するということは
そういう悪意の目にいやがおうにもむきだしにさらされるものなのだと、
今更のように知ったわけなのです。

外国で暮らすって
ホント大変なコトなんだ……って。


この件を差別とかなんだという問題を結びつけるのは
ものすごく強引だし、
短絡的で情けないとは思う……

そう思うのですが、
やっぱり私が彼女と同じ風貌だったら事態は違っていたのかな
なんてつい思ってしまう。


そういう卑屈さを自分の中に認めてしまうというか

そんなことも含めて
なんだか
とても悲しく侘しく心に残る一件、だったのでしょう。

このあとの旅の残り、
現地の人(レストランのウェイター、マックのバイト君、アイス屋の売り子さんなどなど)
の微かな表情の変化にも
妙に敏感になってしまう私がいました。

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2009/10/06

人は何故旅に出るのか

旅に出ていました、
1週間ほど。

1年前からずっと計画していた旅行でした。
ほとんど手配は個人でやり、
わからないことはネット上で尋ねたり、
期待もいっぱい
でも不安もいっぱい……

そんな自称家庭内ツアコンの私と
その他の同行者たち(夫と子供たち)の間には
微妙な、または歴然とした温度差が生まれているのは
旅に出る前から感じていました。
そして、
多分そのせいでさまざまな軋轢がうまれることも
うっすらとは予感もあったのです。


旅はおおむね順調でした。

ほどほどの達成感もあり、
最後のほうはトラブルも発生しましたが、
それもまた許容範囲内の出来事でした。

それでも
最終日に空港に向かうバスの中、
かすかにほっとしている自分がいるのです。
「ああ、もう今晩の食事をどこでとろうか」と悩んだり、
わからない通りの名前に四苦八苦させらたり、
現地のひとのちょっとした不機嫌さに傷ついたり、
そういうことしなくてすむんだなぁ
と思うとね…


旅って不思議です。
そういう不愉快さがあるのも十分わかっていながら
人はまた旅に出る。

どうしてなのでしょう。

多分人が旅に求めているのは
「快適さ」とは別の、それ以上のものなのでしょうね。


この旅で受けた数々の小さな傷。

それらが癒えたころに
旅日記でもHPにUPしようと思います。

お暇な方はお立ち寄りください。


いまどき
家族旅行記なんて流行らないのでしょうけど、
一応自分の中の区切りの一つってことで
ご容赦いただけるとありがたいです。


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2008/10/02

道祖神の誘惑

久しぶりの更新ですみません。

でも
実は今ブログどころではないって感じなわけで……

だって
来年の9月ってすごい連休があるわけじゃないですか、
そうそう
2日も休めば9連休ってやつ。
気が付いていましたか?

もう行くしかないでしょう。
旅行ですよ、旅行!

というわけでここ1週間ばかり
航空券や鉄道パスやホテルはそんなことばかり考えちゃって
今私の頭を切り開いたら
きっと全く別の風景が見えるに違いないって感じ。


誰もが言ってることだけれど

旅とはそれを思いついたときから始まる・・・


ああ、そのとおり。
というわけで約1年間の旅に出ることになってしまいそう。


日常生活に支障、
既に出まくっています。

困ったモンだ。


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2007/12/07

「ちょっと~してみることに・・・」

気になり始めると
どうにも止まらなくなる言葉がある。

例えば以前書いたこともある
「させて頂きます」とか、
「一応~ですけど」とか、
「~みたいな感じ」とか・・・

さて、最近気になり始めたのは、
「ちょっと~してみることにする」という言葉。
よく旅行番組なんぞで耳にしたり、
ネットの紀行文で目にする言葉だ。
(実は私も自分の旅日記などでよく使うフレーズだったりする)


「ちょっと歩いてみることにする」
「ちょっと入ってみることにする」
「ちょっとお話を聞いてみることにする」

ちょっと、ちょっと、ちょっと・・・

うーん・・・
いや、「自分でも使っているくせに」と言われそうだが、
どうも、あまりいい言葉とは思えない。
なんとなくスカした感じがするではないか。
いかにも「見知らぬ街をドキドキワクワクしながら歩くエトランゼ気分」を盛り上げる姑息なる小手先テクと言った感じだ。

そんなものを使うより、
ズバリ
「歩いた」
「入った」
「話を聞いた」
と表現したほうがずっといい。
勿体ぶっていない分スッキリと心に響くではないか。
そんな風に思うのは
偏屈で天邪鬼の私だけなのかもしれないが・・・


考えてみると
「ちょっと」という言葉は「斜に構えた自分」の姿勢を表しているのだろうし
「してみる」という言葉は英語で言うこところの“try to不定詞”、
つまり「試してみる」ということになるのだろう。
いろいろと好奇心に溢れて首を突っ込もう、
でもあくまでサラリとお洒落にネ・・・
という「旅慣れた好奇心」を如実に表すには最適の言葉なのかもしれない。

だが、
それを頻発させ
やたらと使うのはその新鮮さが失われるのである。
ここぞ、というときに使ってこその「トライ」であるのに
ただ時間があってたまたま目に付いたものにフラリと寄っただけのことに
大仰に
「してみることにした」
だなんて、
結局大袈裟なだけなんだよなぁ・・・
いちいち「ちょっと」だなんて腰掛っぽい姿勢で鼻を突っ込むところも
単なるカッコつけで好感持てないし・・・


思うに、
旅ってものは「日常を離れ夢の世界を歩く」という本当に贅沢な娯楽なのである。
だからこそ、
その辺の道を歩くのも食事をするのも
たまたま隣り合わせた人と会話するのも
ワクワク感や緊張感を伴う“try to”なのだというのもわかる。
だが、
それはあくまで自分の胸の中でのこと。
それを人に対し表現したいのなら、
少し冷静になって感動のメリハリをつけるべきであろう。
「ちょっと」だなんてカッコつけてる暇があるなら
よっぽどこういった冷静さをもつことのほうが
受け手の心にストレートに響く表現につながるはずだ。

だいたい
受け手というものは往々にして、
発信者のテンションには付いてなど来られないものなのだから・・・


もちろん、
これは世の紀行文作家や旅行番組制作者、
果てはリポーターの皆さんへの苦言であると同時に、

―いや同時というよりもほとんどは―

自分自身に対する戒めのようなもの、なのだが・・・

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2004/09/15

日本人がいっぱい!

もしもあなたが外国を旅するとき、そこで多くの同胞の観光客にであったらどうだろうか?
「よかった」とか「うれしい」といういい感情をもつ人は少ないのでは?

残念ながら私も、そうは思えそうもないうちの1人。
せっかく大枚はたいて外国まで来たというのに「ここかしこに日本人がいっぱい」なんて状況には正直残念な気がしてしまう。
やっぱり異国情緒を思う存分味わいたくてはるばるやってきたのだ。
目にするのは慌ただしくグループ行動する日本人団体客、耳に響くのは大声で喋りあう日本語なんてちょっと悲しい。

でもちょっと待って・・・
他の日本人観光客からすると、自分もその「目障りな日本人」に変わりはないことに気がつかないだろうか。
例え、マナーを守っており、郷に入れば郷に従っていて、ぞろぞろ連れだって行動せず、旅なれた人間であることに自信をもっている人も、
ふとした行動で、それ以上に外国に精通している別の日本人から「だから日本人はいやなんだよ」と顰蹙を買ってはないとは言えないのでは?

「そんなことは程度の問題だよ!」
とお叱りを受けるのを覚悟でこんなことを書いているのは、以前私がそういう批判をうけたからだ。
留学中の友人を訪ねて1人でドイツまで旅したとき、私の旅人としての自尊心は見るも無残に打ち破られた。そこで私が得た教訓は、「驕(おご)ることなかれ」。

実はこの週末、私たち家族は兼ねてから計画していたスイス旅行に出発する。
主な滞在先は日本人観光客がうようよしていると評判のグリンデルワルトだ。子連れ家族旅行であるから、厳しい目に晒されるのは必至だ。
本来なら「驕ること」どころか、「顰蹙を買うこと」のほうを心配するべきなのであろう。
そんな境遇にありながら、「海外で出会う同胞同士、忌み嫌いあう状況はいい気がしない」なんて思うのはおこがましいのかもしれないが。

ところで、いつも思うことなのだが、こんなに対外的に同胞を恥ずかしく思うのは日本人特有の現象なのだろうか?
世界中に満ち溢れているアメリカ人や同じアジアの韓国の人々はどうなのだろう。
やはり同じ?
それとも未だ対外的な自信のなさが根強く残っている日本人に特有のものなのだろうか?
そうだとしたら、そろそろ卒業してもいいのでは、と私自身は思うのだが・・・

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2004/08/20

トトロの世界に嫁ぐと・・・

8月12日から18日まで、我が家は一家そろって夫の実家に帰省した。夫の実家は、東北の山村で義父が3年前に亡くなってから、義母が一人で暮らしている。いまは高齢になったため年金生活だが、生業は農業。そう、うちの夫は農家の長男にして一人息子なのだ。
毎年この時期の帰省はもちろんお盆を過ごすためなのだが、山村のお盆というのは、町育ちの私にとって最初は思いもよらなかったいろいろな行事ごとがあった。

場所によっていろいろあるようだが、その界隈のお盆は8月14日から16日の3日間である。
その前の13日には家々の玄関や軒先には多くの提灯がかけられる。それぞれの仏壇も竹や(何故かはわからないが)わかめ、そうめんなどで飾られ、果物や花がふんだんに供えられる。周囲には回り灯籠なども出され、にぎやかな一角を形成する。

そして14日の朝、餡子餅と米粉でつくった団子をこさえて、お茶、供花、線香などを持ち人々はご先祖のお墓参りをする。いわゆる迎え盆である。
高齢になった今でこそ義母は、餅は真空パックの切り餅、餡も出来合いのものを使っているが、3年ほど前まで、つまり義父の生前のころまでは、もち米をふかして餅を(さすがに機械でだが)つき、小豆を煮ていた。
その準備は前夜は深夜に及び、当日の朝は薄暗いころから始まっていてかなりの大仕事だ。
だが主婦の仕事はそれだけではない。
お盆の間にお線香を立てにいらっしゃるお客様のために数々の手料理(お煮しめ、山菜料理、お漬物)を大量に作っておくことも必要だ。お茶うけといったら、市販されているお茶菓子のことかと思っていた私にはこれは驚きだった。
ところで、この働き者の姑に対し嫁のほうは、お嫁に来たころはほとんど戦力にもならず、忙しく働く義母をはらはらうろうろしながら見守っていただけだった。(スミマセンでした、お義母さん。)

たいてい14日の夜、村の盆踊り大会が開催される。踊るのはもっぱらここの村の踊りである。
それがエンドレスで7時から9時までずーっと続く。(昔は真夜中まで行われたとか・・・)
夫は東京に出てきてはじめて町の盆踊りに行ったとき、東京音頭ならともかく、炭鉱節だのいろいろな地方の踊りが踊られているのに驚いたそうだ。しかし考えてみると東京の住人の大半は地方出身者なのだからそれもうなずける。

さて14日から16日夕刻までいろいろな人々がお線香をたてにやってくる。多くは親戚のひとと近所の隣人だ。この辺りでは村中親戚同士のようなものだから、同じようなものなのだろう。なにせ、ここらあたりでは苗字が4つに限られているのだから。だから各家を区別する為に苗字とは別に屋号がある。まあ家のニックネームのようなものだ。

16日夕刻、庭の片隅で先祖を送る「送り火」が焚かれる。新聞紙を一枚程度焼き尽くすぐらいの簡単なものだが、これが送り盆の始まりである。お供えしてあった果物や野菜お菓子などを小さなムシロに簀巻きにして、お茶、お花、お線香を持って再びお墓参りをする。
お墓は畑や田んぼの中にあるのだが、夫の子供のころは日がとっぷり暮れた後送り盆に行くと道々、蛍が飛んでいて幽玄なる世界が広がっていたそうだ。しかし忙しい昨今では、日暮れ前に送り盆をすませてしまう家庭が増えた。我が家も例外ではなく、夕方早々に済ませてしまった。蛍を見たことのない私は1度でいいから見てみたいとも思うのだが、たとえ日が暮れてから出かけても、田んぼも少なくなってしまった今となっては蛍もどこかへいってしまったらしく、見ることはかなわないらしい。残念なことだ。

こうしてつつがなくお盆は終わり、村は急に秋の気配をみせる。義母一人では片付けられない提灯や灯篭などを片付けながら私たちも東京に帰ってからの生活に思いをはせ始める。狭い家や夜になっても暑い部屋、エアコンをかけて過ごす夜のことなど・・・


11年前の夏、私は初めてこの村にやってきた。夫となる彼が、結婚相手(私)を自分の両親に紹介するためにつれてきたのがそれだった。誰でもそうだろうが、その日、私は非常に緊張していたのを覚えている。
一方彼は、私が山奥の村に恐れをなしてこの結婚を躊躇するのをかなり心配していたようだった。「・・・山奥でびっくりするよ・・・」そう繰り返し何度も言っていたのが思い出される。
確かにびっくりしたが、そのときはまだ本当の意味でのここでの暮らしの大変さを全く知らなかったといっていいだろう。いや今だって実際暮らしたことがないのだから、何もわかっていないという点では全く同じなのかもしれないが。

「だんな様の実家ってどんなとこ?」そう尋ねる友達に私はいつもこう答えている。
「『となりのトトロ』の世界だよ。」
このトトロの世界は、
村中親戚で誰が何をやっているか全て皆知っていて、子供がひとさらいにさらわれる心配はまずないけれど、新参者はその言動全てが注目の的となる、そんな村社会だ。

結婚してすぐのお正月、私は親戚の人と一緒に熨斗紙のついたタオルをもって村の近所のひとたちの家々に挨拶をして回った。
「今度○○のところに嫁に来た××です。」と。
夫婦して挨拶に回るのではなく、親戚の人に連れられてとはいえ一人で知らない家々を回るのはそのときの私には辛く、そのような風習にかなりびっくりした。
しかしそのことを後日友人に話したら、
「そうだね、そういうことうちの実家のほうでもやってるよ、兄のお嫁さん、それやってたよ。」
と言われ、二度びっくりしたことがあった。
そういえば、夫の子供のころの小さな白黒写真を別の友達に見せて「ねっ、日本昔話の世界でしょ」と言うと、「私の子供のころもこんな感じだったなあ」という返事がかえってきたっけ。

『トトロの世界』は、案外まだまだ日本のなかにいっぱいあるのかもしれないなあ。

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