「おかあさん、ツタンカーメンの種、学校でもらっちゃった!」
子供が帰ってくるなり、そう言って白い紙袋を差し出した。
「ツタンカーメンの種?」
なんだ、それ?
ツタンカーメンと言ったら、あの黄金マスクで有名な古代エジプトの少年王のことだろう。
でもその種子って一体・・・?
そう思いながら包みの中を覗いてみると、薄茶色でしわしわの丸い種が8つ入っていた。
子供はやる気満々で「植木鉢は?」とか「どこにおく?」とか言っているが、実は私はあまり乗り気にはなれない。
今はやる気満々の子供たちだが、なんだかんだいって結局私が何から何まで用意し、世話をする羽目になるのだ。
でもめんどうくさがりやの私には、生き物を育てるのはこの2人の子供たちだけで正直手一杯。ツタンカーメンだか何だか知らないが、植物とは言え、他まで手が回らない。
鉢植えって切花と違い、枯れたら「はいさようなら」ってわけにはいかないし、それが枯れてしまった場合、うちのものの非難も結局私に集中するであろう。小心者のわたしだから、枯らしてしまったっていう罪悪感もつきまとうし・・・
つまり、これ以上世話するものを増やすのはごめんである、というのが私の見解だった。
そんな私の心を知る由も無く、子供はこの種についての学校からのお知らせプリントを私に見せた。
お知らせによると、この種は例の古代エジプトの少年王ツタンカーメンの墓のなかから見つかったえんどう豆の子孫なのだそうだ。
少年王が生き返った後、食するものとして、彼と一緒に葬られたらしい。
それがあの1923年の大発見と発掘により、イギリスに持ち帰られ、栽培され、日本に伝わったということである。
そしてこの種は1923年から数えて81代目の種ということになるらしい・・・
「・・・赤紫の花が咲き、赤紫の実(豆)がなります。もちろん食べられます。ご家庭で是非育ててみてください・・・」そんなことが、お知らせには書いてあった。
うーん、そんな3000年以上も昔の種が20世紀に蘇り、そして81代も経て我が家に来たとなっては、これはいかにめんどうくさがりやの私でも、栽培してみたくなる。
それにツタンカーメンが食べるはずだったエンドウ豆だなんて、食べたいではないか!
俄然その気になると私の行動は早い。
ホームセンターの園芸コーナーでプランターと培養土、それに豆のツタのための支柱を購入。我が家で1番日当たりのいいベランダにそれを置き、8つの種を子供達と一緒に大切に蒔いた。
・・・・
あとはもう、映画「となりのトトロ」のめいちゃんのように、芽が出るのをひたすら待つのみだ。
待つこと10日近く、それが、ひょっこりを地面から顔を出したときのその喜びと言ったら!
子供より私のほうが大喜びしたぐらいである。
生き物、特に植物を育てるってこんなに楽しいものなのかなあ、なんて今更ながら感じた次第だ。
こうして我が家のツタンカーメンのエンドウ豆は8つとも今、順調にすくすくと育っている。もうすぐツルも出てきて支柱にからみつくことだろう。
またまた余談であるが、将来火星やその他の天体へ長い長い探査の旅に人類がでるとき、そのときその宇宙船では植物を栽培するのが必須であるとのことを誰かから聞いたような気がする。食糧うんぬんではなく、植物を育てるというその行為が長期にわたる孤独を癒してくれるというわけだそうだ。
なるほど、私もツタンカーメンに癒されている、ということになるのであろうか・・・