2013/07/31

目医者に行ってきました。

表題のとおり。

いろいろな新事実が判明。

実はわたしは近視だったらしい。
(かなりの軽度ではあるが・・・・)

どうやら眼鏡をつくることになりそうだ。


・・・・・うーん、ちょっと残念・・・


だって
目のいいことだけが唯一の私の肉体的な絶対的長所だったのに・・・・
運動はからきしダメだし、
声だってなんだか寝ぼけたようなボワボワした感じ。

まさかのその長所が失われる日が来るとは・・・


でも
「眼鏡を掛けている私」にもちょっぴり興味があります。
自分がまさかの「メガネ美人」だ、といいのだけれど・・・

・・・いまやそれだけが微かな「望み」です。


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2008/08/19

削られ続ける「眠り」へ

「……夜の9時、
この時間を過ぎるといつも眠くなるのよね
昔子育てに忙しかったころ、
この時間になれば取りあえず、
子供と一緒に床につくことができたからかしら」

これは、
私の母が子育ても一段落した50過ぎぐらいにいっていた言葉だ。

その言葉通り、
母は早寝が好きで、
父が夜勤の日などは
夜は一人テレビなどを観ていることなどほとんどなく、
9時を過ぎればさっさと布団にはいってしまう人だった。

10時近くに私が宿題を終えて、
一緒にテレビでも観ようかと降りていっても
居間には誰も居ない。
この状況を物寂しく思っていた私には、
この母の早寝好きは
ちょっとばかり不満だったものだった。


しかし、
自分が母親になってはじめて分かったのだ。
母親にとって
眠るということは
唯一の安息に時であるということ、に。
そして
彼女にとっては
愉快な語らいや楽しい団欒より
眠りこそ最上の喜びのときだったのだ、ということに。


皮肉なことだ、
いくらでも早く寝ることができる子供時代には
睡眠というものが
これっぽっちの価値も見出されないのは。
価値どころがむしろ
勉強やテレビだのゲームだのマンガだのといった娯楽のためには削り放題できる
手持ちの札ぐらいにしか思われていない。
彼らがにとって睡眠とは、
自分の欲望を満たすためには
それを削ることになんら躊躇のない、
あたかも無限に汲みだせる泉のようなものなのだろう。


こうして削られ続ける睡眠に、
いつか
彼らもその価値を見出すときがくるのかもしれない。

もちろん
そのときには既に
思うように睡眠をむさぼることは不可能になっているのだろうが。


どういうわけだが、
物の価値ってものは失ってみないと分からない

人生って、そんなもの、だ。

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2006/09/12

Oh,my sweet heart!

 今日、
 私は自分の「心臓」をはじめて見ました。

 定期健診でひっかかったのですよ。
 心電図、「精密検査の必要有り」って。

 で、
 大きな病院に行って、
 エコーというので診てもらったのです。
 これ、子供がお腹にいたとき以来の体験。

 ドーナツ型の一部を切り取ったような画面に
 モノクロでガサガサの画像。
 妊娠中に何度も見たような映像ですが
 そこに映っているのはmy babyではなくmy heart、
 うっすらと見える私の心臓なのでした。

 トクントクントクン

 でっぱったりひっこんだり。
 一生懸命動いているんですよね。
 何だか哀しいほど健気。

 考えてみれば
 この子、
 もう40年以上片時も休まず動いている。

 私が
 走っているときも
 眠っているときも。
 それから、
 喜んだり悲しんだり、
 片想いの人に偶然会ってトキめいたり
 また誰かにものすごい憎悪の感情を向けているときも。


 精密検査の結果は、
 「何の問題もなし」でした。
 
 午前休を取って、
 検査費を払って、
 手に入れた一安心。

 でもそれプラス
 今日は
 
 私の中で私をずっと支えてくれた
 影の功労者に出会うことが出来た
 
 そんな
 貴重な日となりました。
 
 ・・・ちょっとうれしかった、です。

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2005/11/17

最も身近にある「毒」

 「砂糖ってのはさ、人類にとって最も身近にある『毒』なんだよね」
 と、あるとき知人がそういった。

 「砂糖」と「毒」。

 なんかわかるような気がする。
 そりゃ、甘いものを食べてそれゆえに死んだ人はいないけれど、
 それの摂り過ぎで健康を害している人は、数え切れないほどいる。
 多分このひともそれが言いたかったのだろう。

 甘みに飢えていた時代には
 砂糖は本当に貴重なものだったのだ。
 しかし今やいとも簡単に甘みを得られる時代になり、
 必要以上に摂取するのが当たり前のようになったため
 今日の魔女狩りならぬ砂糖狩りは始まった。

 「糖分を控えています」
 「甘さおさえめ」
 「カロリーオフ」

 同じような商品が並ぶ中、私もついついそのようなラベルがついているほうを選びがちだ。
 甘さは何せ美容と健康の言わば「敵」。
 歯にも悪いと子供には甘いものを一切食べさせないという若いお母さんも最近は多いらしい。


 でも、
 そんななか今朝のラジオから流れてきたのはこんなニュース。

 >イライラしていますか?スイーツをどうぞ!
 米研究:ストレス解消にはやっぱり甘み
 (J-WAVE Good Morning TOKYO Click on NEWS より)


 耳を澄まして聴いてみると、
 アメリカのさる研究機関がラットを使ってこんな実験をしたとの内容だった。

 何匹かのラットに同じ量のエサと住環境を整えてやり、
 ① ただの水だけを与えられたもの、
 ② 人口甘味料を加えた水を与えられたもの、
 ③ そして、砂糖水を与えられたもの
 の3種類のストレスへの対応を調べたらしい。

 その結果、砂糖水を与えられたラットが一番分泌するストレスホルモンの量が少なかった―即ちストレスを緩和させていた―ということが判明したとのこと。(ちなみに人口甘味料は水よりややマシと言う程度だったそうだ。)

 つまり、
 「イライラしたからチョコでも舐めて気分を落ち着かせた」
 というのが科学的にも根拠があるものらしいという報告なのだ。

 へぇー、でも砂糖を摂り過ぎているから最近の子供はキレやすいんじゃなかったけ?
 うーん・・・わからないなあ

 まあ、この実験報告がどの程度の意味を持つものかは素人の私には全くの不明である。
 お砂糖大好きで同時に肥満が日本以上に深刻なアメリカからのレポート。
 それよりは、
 1日に40gを越える砂糖を摂取した幼稚園児がお友達と上手く遊べないという調査結果(とあるサイトで見かけた)のほうが、拝聴する価値があるような気がしないでもない。
 

 だが、
 ただひとつわかっていることは、
 単純に甘いものを食べたとき感じる
 「言い知れぬ幸福感」とでも言うのだろうか、

 ―あの、ふわあぁとした優しさに包まれた感覚
  喉の奥にその甘みがすべりこみ
  こめかみのあたりを伝わって、

  あぁそうそう、あまくってしあわせー!

  という信号が脳に送られていくあの幸せな感覚―だけなのだ。

 あの感覚を「全くの悪しきもの」とされて、
 これから先常に罪悪感と共に甘みと付き合っていかねばならないのだとしたら、、
 それはちょっと辛いかな。

 ひょっとしたら
 この感覚も「毒」である「砂糖」の一面なのかもしれないのだが、
 でも
 一粒のチョコに幸福感を感じられるぐらいの量ならば、
 許してもらえないかな、

 と今日もその「毒」を喰らってしまう私なのでした。

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